構造改革

作:大木奈子

 構造改革、すなわち構造の再構築は、英語では"structure"(構造)に"再"の意味を表す"re-"を付けて、"restructure"(リ・ストラクチャー:構造の再構築)略して"リストラ"と言います。

 政子の勤める某企業でも、取締役会で構造改革案が極秘のうちに了承された。ちなみに政子はこの会社の会長の孫であり、社長の娘。そのため、まだ20代であるにもかかわらず、いきなり重役に選任されている。
 今回の取締役会でも、政子の出した『改革』の方針が採択されたのだった。ちなみに、政子の出した『改革』の方針はこうだ。40歳以上の男性社員を残留組と退職組に分ける。そして、退職組の社員には弱みに付け込んで若い女性が言い寄り、手を出したところで事を荒立て、最終的に懲戒解雇に持っていく。こうすれば無駄な退職金を支払わずに人員削減ができる。
 つまり、構造改革に名を借りた合法的な大量解雇である。

 『改革』の方針が示されてから少し経ったある日、政子はとある喫茶店で、風祭澄香と前島翔子と会っていた。2人は学生バイトとして政子のコネで雇ったのだ。2人の役柄は退職組の社員に言い寄り、手を出されたところで訴えるという役柄だ。顔の広い翔子に依頼したついでに、澄香も誘ったのだ。
「…と言うことよ。2人はうちの会社の首にする予定のオジさんたちを、うまく誘ってエッチな方に持っていってくれるだけでいいわ。」
 政子が説明をする。
「まかせて!あたし達そういうのは得意だから。相手が格好良い男の人じゃなく、40歳以上のオヤジというのが残念だけど、お金になるんならやるわよ。」
 翔子はすっかり乗り気だ。普段怪しげな交友関係の多い翔子にとっては、まじめ一筋で働いてきたサラリーマンをだますなんて、朝飯前だ。
「でも、ちょっと待って下さい。」
 澄香が待ったをかける。
「もし、本当にそのオヤジがエッチな事してきたらどうするんですか?それに、大騒ぎして警察騒動になるのも困りますし。」
「大丈夫よ。エッチされる前に逃げ出していいから。あとは未遂でも充分懲戒解雇の理由になるわ。日本の場合、こういう事件の場合女性の意見がほぼ完全に通るから、警察に突き出されたくなければ会社辞めてもらうわ、と脅すだけで大丈夫なのよ。」
「ふーん。」
「いいから、澄香、やろうよ。こんな割の良いバイトないよ。」
 翔子に誘われるまま、澄香は『改革』に足を踏み入れる事となった。

 澄香と翔子は、政子から1人の男性社員の写真を渡され、この人を誘って欲しいと頼まれた。状況のセッティングは政子の会社の方でやってくれるそうなので、2人の仕事は、さんざん言い寄った挙げ句、みだらなことをされたと訴えるだけ。楽なバイトである。


 運命の日。懲戒解雇が予定されている男の名は阿熊といった。現在48歳の課長補佐。一時は課長まで上がったが、会社からは退職組に振り分けられて、課長補佐に降格された。そして降格後は彼に信じられないような異動の話が出てきた。
 最初のうちはまだましだった。給料3割減で国内の僻地への転勤の話だった。ここで辞令を受けておけば良かったのかもしれない。だが、マイホームのローンが残っている彼にはできない事だった。家を売り払ったとしてもまだローンは残る。見知らぬ土地で新たに家を買い、売り払った家のローンを払い、家族を養う。給料が3割も減らされてはできるはずがなかった。
 やむなく辞令を断わった彼に、上司はしつこく異動を命じた。そしていつしか移動先は海外へと変わっていった。給料半額で、中国に転勤。物価の安い中国なら、売り払ったマイホームの残りのローンを返しながらでも生計は立てられるというのが上司の薦めだ。だが、急に家族を海外に連れて行くわけにもいかない。すると単身赴任になるわけだが、そうなると半額になった給料では、日本に残した家族を養うこともできないし、家のローンも支払えない。
 さらに辞令を断わった彼に、今度は異常なまでの過負荷な仕事が与えられた。今の仕事が辛ければ、海外転勤を受けるか、退職するかのどちらかを選べ、という上司のメッセージだ。過労死の危機を感じた彼は、本気で将来の身の振り方を考えはじめていた。
 そんな時に、彼は上司の部長から突然飲みに誘われた。仕事を早く切り上げて、飲みにいけるなんて、何ヶ月ぶりだろうか。彼は喜んで承諾した。

 今回は部長のおごり。会社から少し離れた部長のお気に入りの店に阿熊は連れてこられた。
「いやあ、阿熊君。いつも遅くまで仕事、ご苦労だね。いつもがんばっている阿熊君に課長に返り咲いてもらおうと思っているのだが。」
「本当ですか?」
 予期せぬ部長の一言に、思わず身を乗り出す阿熊。正直もう会社に残るのは無理だと思っていた彼にとっては、思いもよらぬ朗報だった。
「まあ、まだわしの希望の段階だがな。それに、阿熊君がどう思っているのかも知りたいし。だから今日はこうして飲みに誘ったのだよ。」
「ありがとうございます!」
 彼は涙ながらにお礼を述べた。

「やっほ〜!こんばんは〜!」
 部長との話が始まってまもなく、突然場違いな異常に陽気な女の声が、彼の背後から聞こえてきた。振り向くと、後ろのテーブルに女が2人。1人はなつかしのイケイケギャルスタイル。そしてもう1人は癒し系かお嬢様系を意識したようだが、地味で目立たない感じの女だ。2人とも20歳くらいの若い感じだ。
「おお、君達か。」
 部長が顔をほころばせる。
「阿熊君。彼女達はこの店でよく一緒になった知り合いだよ。この歳みたいになると娘みたいでかわいくてね。」
「はじめまして!翔子で〜す!」
 ギャル系女が自己紹介をして彼の右側に座る。
「澄香です。よろしくね。」
 地味な女の方は、彼の左側に座った。
「おお、阿熊君、うらやましいなあ。両手に花じゃないか。」
 部長が鼻の下を伸ばす。彼としても、左右を若い娘に囲まれて悪い気はしない。
「阿熊さんっていうのね。なんかすごい優しそう!ねえ、あたしとお話しようよ。」
 翔子が彼に腕を絡める。
「あ、だめ。阿熊さんは私のもの。」
 澄香も負けじと彼の腕をつかむ。若い女性2人に言い寄られて、彼は完全に舞いあがってしまった。

 話が盛り上がりはじめたところで突然部長の携帯が鳴り出した。
「あ、はい。私だ。何?わかった、すぐ戻る。」
 部長は阿熊に向き直ると、用件を告げた。
「すまない。重役の政子さんからの呼び出しで会社に戻らなくてはならなくなった。」
「じゃあ、私も。」
 立ちあがろうとする阿熊を部長は押しとどめた。
「いや、君はいい。いつも遅くまで働いているのだから、今日くらいはゆっくりしたまえ。お金はわしが置いていくから、今日は気が済むまで彼女達と話をして普段の疲れをとりなさい。」
 部長はテーブルの上にお金を置いた。
「超すごーい!さすが部長!」
「お金持ち、太っ腹!」
 翔子と澄香が大袈裟に部長を持ち上げる。
「ありがとうございます。」
 罠とは知らない彼は、部長の行動を厚意として感謝した。

 部長が去ってからも、彼は翔子と澄香の2人と話が弾んでいた。若い娘とこんなに楽しく話をするなんて、何年ぶりだろうか。
「阿熊さん、聞いてよ!」
 今までさんざん場を盛り上げて来た翔子が、一転して急に涙声になる。
「あたし、この前彼にフラれちゃったの。だからすごく寂しい。ねえ、朝まで一緒にいてくれる?」
「え、いくらなんでもそれは…。」
 彼は戸惑う。
「いいじゃないですか。あたしも一緒しますよ。大丈夫。誰にも言いませんから。」
 澄香が迷う彼にダメ押しをする。
「じゃあ、一緒にいようか。」
 彼はまた一歩罠にはまった。
「ありがと〜、阿熊さん!翔子、超感激!」
 翔子は彼の腕をつかむと、大胆にも自分の胸の谷間に誘いこむ。
「ちょ、ちょっと翔子ちゃん、そんな、やばいよ。人前で。」
 慌てて彼は、翔子の胸から腕を引き抜こうとする。
「いいじゃないの。朝まで一緒にいるんだからこれくらい。それともあたしの胸じゃ不満?」
「いや、そう言うわけじゃ。」
「じゃあ、あたしの胸揉んで…。」
 翔子がつかんでいた腕を離す。
「じゃ、じゃあ、ちょっとだけ。」
 彼の腕はすでに翔子の胸の谷間にある。ちょっと動かすと胸の柔らかい感触が伝わってくる。

 カシャ!

 その時突然フラッシュがたかれ、シャッターを切られる音がした。写真を撮ったのは澄香だった。
「やったわ、翔子。これでこの人がエッチに手を出した証拠がバッチリよ!」
 澄香が興奮して大きな声を出す。
「え、ちょっと、どういう事?」
 彼はうろたえる。大慌てで翔子の胸から手を引きずり出す。
「つまりね、あんたハメられていたの。あんたがあたし達に手を出して、会社をクビになるってわけ。エッチな証拠の写真もあるし。」
「ちょ、ちょっと待て。今のは君がむりやり胸の中に俺の腕を引きこんだんじゃないか!」
 彼はむきになって反論する。
「さあ、写真じゃそこまでわからないし、ね、澄香!」
「うそだ!澄香ちゃんもグルだったのか!」
「その通りよ。さあ、あとは政子さんにこの写真を持っていくだけね。」
 澄香がカメラを持って立ち上がる。

「待って、澄香!」
 澄香を押しとどめたのは、意外にも翔子だった。
「このまま終わらせるのはもったいないじゃん。そうせなら、アレ使おうよ。」
 アレとは、人間を100分の1に小さくできる光線銃のことだ。
「ちょっと、勝手に決めないでよ。」
「あら、澄香はこのまま利用されるだけでいいの?女はエッチの道具なんて、許せなくない?」
「まあ、そうだけど。」
「じゃあ、決まり!」
 強引に話をまとめた翔子は、今度は再び阿熊に寄り添う。
「ねえ、阿熊さん。この事件の黒幕を教えてあげようか?」
「どうせ部長だろ。」
「いいえ。重役の政子さんよ。」
「ええ!?あの美人で優しそうな人が?」
「あたしの方が美人だと思うけど。まあ、とにかくそういうこと。」
 翔子は先日の喫茶店での政子との秘密の打ち合わせについて語った。

「とまあ、こんな感じよ。時として女の方が残酷になれるのよね。」
「真実を知っても、俺のクビは変わらないさ。」
 阿熊はあきらめたように言う。
「そんなことはないよ。あたし達が政子さんを婦女暴行未遂で訴えればいいのよ。あたし達があんたに襲われるように仕組んだってという事実を明かせば、首謀者は政子さんの方。あんたは利用されただけということになるわ。」
「え、じゃあ、もしかして…?」
 阿熊の瞳に再び希望の火がともる。
「でも、それはあたしの気分次第ね。政子さんとあんた、どっちを訴えるかは。」
「翔子様、是非俺に協力して下さい。ご不満でしたら、犬にでもなります。」
 今までなれなれしくしゃべっていた男が、急に腰が低くなるのだから、面白い。
「あたしもね、政子さんみたいなやり方は気に入らないのよ。構造改革を叫びながら、自分達が重役に残るという一番古い体質はそのまま。古い体質を残したまま、弱い人をいじめてクビを切るだけ。こんなひどいことをしているのに、改革ともてはやされるなんて気に入らないわね。」
「そう思っていただけますか?」
「ええ。あと、改革と言いながらあたし達をエッチされる役柄に利用した事。なんだかんだ言っても、女でバイトのあたし達をこんな風にしか見ていなかったなんて、時代遅れの考えよね。」
「じゃあ、翔子様は俺に協力していただけるのですね。」
 阿熊は懇願するように翔子を見つめる。

「で・も・ね。」
 翔子が意地の悪い笑みを浮かべる。
「世の中いくら正しくても、お金がないと始まらないのよね。時と場合によっては、間違っていてもお金があるほうについた方が得ということがあるの。」
「それって、つまり…。」
「そう。だってあんたについたって、たがが給料知れているじゃない。それに比べて政子さんすごいわよ。彼女1人であんたを10人分くらい雇えるはずよ。」
「じゃあ、政子さんの給料が1割減れば、俺は首にならずに済むし、給料も減らされずに済むわけだ。」
 彼が素晴らしいアイデアを出した。人をクビにするためだけに働いている人達の、不必要に高い給料を減らせば、彼みたいにまじめに働いてきた人達が今までの生活が守れるのだ。
「甘いわね。政子さんが自分に痛みが及ぶ『改革』をするわけないじゃない。『痛み』をあんたみたいな弱い人に押し付けるから『改革』って言うのよ。」
 翔子の冷たい一言。
「ついでに言っておくと、あんたを懲戒解雇にできれば、本来あんたに支払うべき退職金の5%をあたし達がバイト代としてもらえるの。これで、どっちにつくか決まりね。」
 彼はがっくりとうなずいた。

 彼は失意のうちに店を出た。部長のおごりというから来てみたが、実は罠だったのだ。だまされた自分が悔しくてたまらなかった。
「阿熊さん、元気だしなよ!」
「そうですよ。」
 翔子と澄香が横を歩きながら彼を元気づけてくれる。だが、自分をだましていた彼女達の励ましなど、聞けば聞くほど惨めになる。
 惨めな彼に、ひとつのアイデアが浮かんだ。法廷闘争に持ちこんで、彼女達が話してくれたことを全部ぶちまけるのだ。そうすれば、自分勝手な政子たちに一矢報いることができる。
「決めた。俺は訴える事にするよ。君達にだまされて体に触らされたことも全て話して、もうこれ以上俺みたいなこんなひどい『改革』の犠牲者がでないようにする。」
 彼は立ち止まって決意を述べた。だが、彼の最後の抵抗も、あっさり崩された。
「無理ですよ。」
 澄香の冷たい一言。
「何で翔子が黒幕のこととか平気でしゃべったんだと思います?」
「なぜって…。」
「それは、こうするためよ。」
 澄香は人間を小さくできる光線銃を向けると、彼に向けて照射した。
「うわっ!」
 短い悲鳴を上げて、彼は哀れ100分の1に縮められた。

「さてと、どうする、こいつ?」
 小さくなった彼を見下ろして、翔子が尋ねる。
「どうするも、こうするも、さっさと踏み潰しておしまいでしょ。」
 さも当然という感じの澄香。
「そうじゃなくて、どっちが踏み潰すかよ。」
「どっちでもいいよ。こんなの一瞬だし。」
「じゃあ、こいつに決めてもらおうか。どっちに踏まれるのがいいか。」
「翔子、それひどすぎ。」
「じゃあ、今回もじゃんけんか。」
 結局今回は澄香の獲物となった。

 小さくされた阿熊は、ぼんやりと2人の女性を見上げていた。とはいえ、彼の目に入るのは巨大なブーツだけ。ブーツだけでも彼の視点から見ると数十メートルはあるのだ。
 さっき2人と話していたとき、「かわいいブーツだね。」と誉めたことを思い出した。自分の方が優位にいるときは、ブーツはただのファッションアイテムに過ぎないが、こうして自分の方が下位の立場に置かれると、ブーツは恐ろしい凶器のように見える。
「じゃあ、やるよ。」
 話しがまとまったのか、澄香が右足を持ち上げる。黒光りする革のロングブーツが持ちあがり、彼の頭上へと移動する。
 上を見ると澄香のブーツの靴底が見える。全体がうっすらと泥汚れがこびりつき、ところどころ凸凹の間には砂粒が挟まっている。そして、かかとの方にはガムだろうか?何やら黒い粘土質のものがこびりついている。
 その巨大な靴底が彼に襲いかかる。大きさは長さが20メートル以上、幅も数メートルあるので、逃げることすら出来ない。彼は一瞬にして澄香に踏み潰された。

「さてと。」
 彼の残骸を靴底でぐりぐりしながら澄香が言う。もうすでに彼は原型をとどめず、地面に残るシミのようになっていた。
「エッチの証拠写真、政子さんに渡さないと。」
「早い方がいいから、今すぐ行こうよ。」
 翔子がさっそく政子に連絡をとる。
「踏み潰したオヤジは、エッチなことをした反省に、どこかへ逃げ出したってことにしといてね。」
「わかった、わかった。今日の澄香はずいぶんやる気だね。」
 翔子がうなずく。まもなく、政子と電話がつながった…。


 そして、明日もまたひるむことなく改革は進められていく。

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