産業スパイ

作:大木奈子

 風祭澄香と前島翔子は、2人で久しぶりに澄香のいとこにあたる麻紀のいる研究所を訪問した。澄香の持っている光線銃は、この研究所で開発された。そして、その開発に携わった中心人物が麻紀である。

「このようにこの光線銃は、ガン細胞のような病気の細胞のある部分を死滅させ、その部位を小さくすることができます。病気の部分を小さくすることよって、病巣の除去手術を容易にする手助けができるわけです。」
 麻紀が光線銃について説明する。光線銃で人間が縮小するメカニズムはまだわかっていない。しかしその威力を弱めて病気の細胞に照射すると、その部分だけを小さくできる。結果的にそれは病巣を小さくしたのと同じことなる。例えれば、進行したガンを初期の状態に戻すようなものだ。おおががりだった病巣摘出手術も、病巣が小さけければ容易になる。
「へー。こんなすごい使い道もあったんですか。これでどんな病気も怖くないですね。」
 翔子が感心する。
「ちょっと違うのよ、翔子ちゃん。あくまでもこれは病気の治療ではなく、病気の部位を小さくするだけ。手術の手助けね。でも、この光線銃がこうやって世界の人の役に立つことになれば、この研究をやっていて良かったと思うな。」
「ねえ、この光線銃って、エッチな男からあたし達を守るために作ったんじゃなかったの?」
 澄香がピント外れな質問をする。
「相変わらずね、澄香は。いくら護身のためとはいえ、そんなに簡単に人間を小さくして懲らしめていたんじゃ、法律も何もなくなっちゃうと思わない?それどころか、恐ろしい殺人兵器にも利用できちゃうじゃない。澄香に渡したのはあくまでも動作確認の試験のため。実際に商品化する時は威力を弱めて医療機器に組み込まれる予定よ。だから、一般の人がこれを使える事はたぶんないでしょうね。」
「なんだ。みんなで痴漢とかを小さくして踏み潰していけば、平和な世の中になると思ったのに。」
 落胆する澄香。
「こんな光線銃なんかに頼らずに、自分の身は自分で守ることね。危ない場所に近づかないとか、男の人を見ぬく力を身につけるとか、痴漢を誘うような服装をしないとかあるでしょ。どうしてもだめなら、勇気を持って警察に突き出す。これでいいじゃないの。」
「まあ、そうだけど。」
 さすがに社会人なだけあって、麻紀の言う事はまともだ。
「とはいえ、まだ光線銃の仕組みが解明されていないから、しばらくは翔子ちゃんと澄香には試験的に使ってもらうわ。」
 3人は光線銃で小さくした男たちの話題で盛り上がった。

 トン、トン。
「失礼します。」
 ノックの音とともに、血相を変えた女性が一人、部屋に入ってきた。
「何?どうしたの?」
 訪ねる麻紀に、その女性は澄香と翔子をちらりと見て、答えにくそうにしている。
「この2人のことは大丈夫。話してちょうだい。」
 麻紀に言われて、彼女は口を開く。
「実は、産業スパイと思われる男が不法侵入していたみたいなんです。うちの研究所のいろいろな秘密資料を持ち出そうとしたみたいで。出口で見つけて足止めしたんですけど、どうします?」
「うーん、まずは背後関係を暴くことね。どこの組織の回し者なのか。それから警察を呼びましょう。今の日本の法律じゃ情報を盗んだだけで厳罰を与える事ができないけどね。とりあえず、そいつのところへ行くわ。澄香と翔子ちゃんもついてきて。」
 麻紀はすぐに立ちあがった。

「まずいわね。」
 産業スパイの男を取り調べた後、麻紀が開口一番に言った。
「彼は一匹狼だけどプロのスパイね。光線銃の秘密もかなり核心に近いところまで情報を盗んでいるわ。このまま警察に突き出しても、不法侵入の罪よりも、私達の縮小光線銃での人体実験の方が罪が重くなるわね。さて、どうしようか…。」
 麻紀が深刻な顔をして考えこむ。澄香たちだったら、都合の悪い男は迷わず踏み潰しておしまいなのだが、麻紀のような地位のある大人だと簡単にはいかないようだ。
「迷っていても仕方ないわね。ここまで知られた以上、そのまま帰すわけにもいかないし。」
 麻紀の頭の中で結論が出たようだ。
「不法侵入者が隠れていたのに気づかずに、高濃度強酸性溶液を入れてしまって、彼は跡形もなく溶けてしまったということにしましょう。澄香、ついて来て。合図したら、光線銃お願い。」
 かくして、研究所に不法侵入した産業スパイの運命は、彼の知らぬところで最悪のシナリオが作られた。

 ガチャリ。
 ドアが開き、麻紀が入ってきた。産業スパイの男は、大事な秘密を握っている自分のほうがまだ優位にあると思っているので、堂々としている。
「あなたのした事、全部なかった事にしてあげます。」
「そうか。まあ、当然だよな。」
 男が言う。
「俺を警察にでも突き出せば、お縄につくのは怪しげな人体実験をしていた貴様らの方だからな。」
 男は豪快に笑う。
「まあ、見つかった以上盗んだ資料は置いて帰るが、貴様らも気を付けな。この研究所の秘密を知りたがっているのは俺だけじゃないぜ。じゃあな。」
 男は立ちあがると、ドアの方へ向かって歩く。
「澄香、お願い。」
 麻紀の後ろに隠れていた澄香は、一歩横に動くと光線銃を発射した。光線銃は見事に男に命中。彼は100分の一に縮められた。

 光が消えると、男は目の前の光景が変わっていることに気づいた。目の前には自分の100倍はあろうかという巨大な女性の姿がある。その後ろには、これまた100倍サイズのブーツを履いた巨大女性が2人。
「何をされたか、大体分かるでしょ。あなたが盗もうとしていた資料の中に書いてあった事ですもの。」
 麻紀に言われて男は青くなった。盗んだ情報が正しければ、自分は100分の一に縮められて人体実験に使われるはずだ。こうなると助かる可能性はまずない。
「さっき、『なかった事にする』と言ったでしょ。だから、あなたの存在自体、なかった事にしてあげる。」
 窮地に陥った男は、携帯を取りだし外部へ連絡を取ろうとした。しかし、その前に麻紀につまみ上げられた。
「だめよ、連絡を取ったりしちゃ。だって、あなたはこの世にもう存在しないんですもの。でもね、最後くらいは世の中のために役立ちたいでしょ。だから、実験台として使うことにするわ。」
 男はそのまま実験室へと運ばれた。

 実験室に運びこまれた彼の頭や体に電極が埋めこまれる。彼を人間として見ていない麻紀たちは、麻酔もなしに次々に彼の体に針を突き刺す。太さ0.1mmの針も彼のスケールで見れば直径1cmの金属棒だ。これを麻酔もなしに刺されて痛くないわけがない。それどころか、このままでは出血性ショックで死んでしまうのは時間の問題だ。
「さあ、準備完了。」
 彼の脳波や心拍数、血圧などの測定が始まると、麻紀は彼を床に置いた。実験室の床は固く冷たく、こぼれた薬品の匂いがした。
「澄香と翔子ちゃん、じゃんけんしてくれないかしら。勝った方に踏んでもらおうと思うの。」
 2人はじゃんけんをする。勝ったのは翔子だ。
「じゃあ、翔子ちゃん、ゆっくりとあいつを踏み潰してね。」
「はい。」
 翔子は男の前に立った。翔子の履いているのは、珍しく靴底が厚くないタイプ。それでもヒールは10cmくらいある。こげ茶色の膝丈のロングブーツだ。あまり履きこまれていないため、革でできた側面にはまだ汚れや傷もついておらず、靴底の凸凹もほとんど磨り減っていない。
「いきます。」
 翔子が右足を持ち上げる。男の頭上を巨大な靴底が覆う。彼は逃げ出そうとしたが、体に刺しこまれた電極棒が邪魔して身動きすら取れない。体に刺さった電極棒の痛みに苦しみながら、頭上に覆い被さる靴底を見つめるしかなかった。
「はい、どうぞ。」
 麻紀がモニタを見ながらゴーサインを出す。モニタには心拍数の増加や血流の減少など、恐怖を感じた時の変化が現われていた。
 翔子がゆっくりとブーツを踏み下ろす。
  プチッ!
 というかすかな音を立てて、彼の体は翔子のブーツの底で砕け散った。
「すごい、まだ脳が動いている!」
 麻紀は、驚きの声をあげた。

 翔子はゆっくりとブーツを持ち上げた。彼の潰された体には、ブーツの凸凹が刻みこまれていた。運良く頭部は靴底の凹部にあたったようで、かろうじて原型を保っている。頭部だけ踏み潰さなかったことが、脳だけが生き長らえた理由だろう。
「脳の活動も止まったわ。」
 事務的に麻紀が言う。この一言で、実験室内の張り詰めた空気が緩む。
「ありがとう、翔子ちゃん。面白いデータが採れたわ。」
 麻紀が頭を下げる。
「あとは、データ解析ね。踏まれてから脳が止まるまでの一瞬に彼が何を感じたのか、人間はマウスと違って感情を持っているだけに興味あるわね。」
 麻紀は彼の死骸を拾い上げると、解析のために別の部屋へ持っていった。


 研究所からの帰り道。電車から降りたところで翔子が口を開いた。
「澄香のいとこってすごいなあ。超格好いいよね。」
「えへへ。そう?」
「いや、別に澄香を誉めているわけじゃないしー。」
「あっそう。」
 澄香と翔子はブーツを鳴らして歩みを進める。
「でもさあ、ああ言う雰囲気で見られながら踏むのって物足りないよ。ストレス解消にはもっと激しく踏み潰さないと。」
「何言っているのよ。踏めただけいいじゃない。あたしなんか、今回出番なしだし。」
「まあね。でもさ、最後に麻紀さんが言っていた事気にならない?」
「『踏まれてから脳が止まるまでの一瞬にあいつが何を感じたのか。』ってこと?」
「うん。きっとあたしみたいな美女に踏まれて幸せだったんだろうな〜、なんてね。」
「まさか。」
 自信過剰の翔子にあきれる澄香。
「そうだ、澄香。せっかくだから、今度結果を聞きにいかない?」
「翔子って、興味本位なんだから。」
「いいじゃん。でもこれで少し楽しみが増えたんじゃない。悪人が踏み潰される時に、一瞬でも反省してくれているのかな、って考えるだけでもワクワクしない?」
「確かに、そうね。」
「じゃあ、これから悪い人を探して踏み潰しましょう!いっぱい踏み潰して光線銃の性能を確かめないと。」
「ちょっと、翔子。声が大きいよ。」
 2人は楽しく会話しながら歩いていく。

 翔子のブーツの靴底に残されたかすかなシミだけが、産業スパイの生きていた唯一の証となった。縮小人間の情報を世間に公開して世の中の役に立つことはできなかったが、彼自身が縮小人間の実験台なって後世に貴重なデータを残すことで、世間の役に立ったのだった。

戻る