ディスコにて

作:大木奈子

 ♪ジャンジャンジャン
 大音響がダンスフロアに鳴り響き、天井のミラーボールがカラフルな光を出す。その音にあわせて若い男女が踊り出す。ディスコで毎晩行なわれている光景だ。
「はー。」
 この雰囲気にいまいち乗りきれない澄香はため息をついた。
「どうしたの?」
 翔子が尋ねる。今日澄香は、翔子に誘われて生まれてはじめてディスコクラブに来た。だが、初体験の澄香は戸惑うばかりで、この雰囲気についていけない。
「ちょっと休憩。トイレ行ってくる。」
 澄香は大音響が鳴り響くダンスフロアから外に出た。

「あたしには向いていないのかな?」
 廊下に出て澄香は一人つぶやいた。ちなみに今日の澄香は黒の光沢のある服装に、革のミニスカートとロングブーツ。自分が持っている服の中で一番露出度が高く、派手な服を選んだつもりだった。
 だが、ここに来て澄香は驚いた。まるでビキニの水着かといわんばかりの翔子の服装に始まり、みんな澄香よりずっと派手で露出度の高い服を着て、自分の体をアピールしている。派手過ぎないかと心配だった澄香の服装は、逆に地味過ぎるくらいだ。
 はじめてディスコに来た澄香は、あまりのカルチャーショックに戸惑っていた。
 「とりあえず、仕切りなおしね。」
 澄香は一人トイレへと向かった。

 コツ、コツ…。
 トイレから出た澄香の足音が廊下に響く。トイレは奥まった薄暗い場所にあり、他に利用客はいなかった。トイレへ通じる廊下も古ぼけていて、心霊現象でも起きそうな雰囲気だ。
「早く戻ろう。」
 さすがにこの薄気味悪い雰囲気に、澄香はダンスフロアへの道を急いだ。
「よう、ねーちゃん!」
 その時、一人の中年の酔っ払いが声をかけてきた。彼は澄香の行く手をふさぐかのように立ちはだかる。
「今、一人?寂しいねえ。オジさんが相手をしてあげるよ。」
 酔っ払いはなれなれしく澄香の肩を触る。
「やめて下さい。連れがいますから、寂しくないです。あちらに戻りますので、そこどいて下さい。」
 澄香は酔っ払いを押しのけて、進もうとする。だが、彼は澄香の腕をつかんで引き止める。
「お嬢ちゃん、大人の言う事は聞くもんだよ。ねっ。今退屈しているんだろ。だったら、オジさんと遊びに行こうよ。良いホテル予約してあるんだ。」
 彼は背中から澄香に抱きつく。よくある、酔っ払いのからみだ。傍から見れば「酔った勢いで」という奴だが、当事者にとっては迷惑極まりない。
「いい加減にして下さい。退屈なんてしていません!離して下さい!」
 半ば強引に迫った男の運命は、この時決定した。彼は、澄香の光線銃により100分の一に縮められた。
 澄香は小さくした彼をつまみあげた。本来なら今すぐに踏み潰してしまいたいところだが、迷惑な酔っ払いに文句を言ってやりたいという気持ちがそれを押しとどめた。
「まったくもう。少しは人の迷惑考えなさいよ!」
 澄香は彼を自分の目の前の高さまで持ってきてから叱りつける。彼は何事が起きたのかわからずに呆然としていたが、目の前の巨大な澄香を見て恐怖に震えあがった。
「女の子をなんだと思っているのよ。べつにこんな服装しているけど、エッチしたいわけじゃないんだからね。」
 彼は一刻も早くこの状況から脱出しようともがいたが、巨大な澄香の指の力には勝てず、無駄なあがきであった。
「逃げようとしてもだめよ。その気になればこのままあんたを押し潰す事もできるのよ。ねえ、もう2度と女の子にからんだりしないと誓いなさい。」
 澄香に言われて男は諦めた。酔いも覚め、身の危険を避けるためには彼女の言う事に従うのが得策と判断した。
「ごめんなさい。もうしません。許して下さい。」
「そう。わかれば良いのよ。」
 澄香は彼を挟む指の力を少し緩めた。どっちみち彼を踏み潰すつもりだったので、わかってもらわなくても関係ない。助けるつもりもないのに脅しつけるのは、ある意味非常に残酷なおしおきとも言えよう。
「じゃあ、…。」
 澄香が彼を踏み潰すため床に置こうとしたとき、聞き慣れた声が聞こえた。
「澄香〜!」
 それは翔子だった。

「もう、いつまでトイレしてるのよ。もしかして、大きい方?」
「ちょっと、翔子ったら人前で何言うのよ。そんなんじゃないったら。」
 相変わらずの翔子節に、戸惑う澄香。
「何恥ずかしがってるのよ。誰だってうんちやおしっこくらいするでしょ。だったらどこで話してもいいじゃない。」
 たしかに翔子の言う事は一理あるが、どうも育った環境が違うせいか抵抗がある。
「でも、女の子なんだし。あんまり下品な話は…。」
「あはは。男だの女だのって、そんなの気にしないの。それより澄香、早く行こう。お立ち台取られちゃうよ。」
 翔子は強引に澄香の腕を引っ張る。澄香は彼をつかんだまま、翔子に引っ張られるようにしてダンスフロアに戻ってきた。

 ドスン!
 ダンスフロアの中で澄香は誰かとぶつかって、バランスを崩した。
「あ、ごめんなさい。」
 澄香はすぐに謝った。幸い相手の人もおとなしい人だったので、大事には至らなかった。
「もう、翔子。無理に引っ張らないでよ。」
 澄香は小声で抗議する。
「わかった、わかった。」
 翔子はそう言いながら、近くのテーブルの上にあったお皿やグラスをどける。
「どうするの?」
 尋ねる澄香に翔子は、
「ここが即席のお立ち台!ここで踊ると目立つよ、きっと。」
 翔子はそう言ってブーツを履いたままテーブルに上る。ちなみに今日の翔子のブーツは、真っ赤なエナメルブーツ。厚底で、ヒールの先は釘のように尖がっている。
「ちょっと翔子ったら、食事するテーブルの上に靴のまま乗るなんて。」
 澄香が止めるが、翔子は全く意に介さない。
「裸足じゃ踊れないでしょ。ほら、早く澄香も乗りなよ。」
 翔子が澄香の手を引っ張る。躊躇する澄香に、周りから一斉に声が上がる。
「乗れー!踊れー!見せろ!」
 ギャラリーの男性達からの応援が浴びせられた。彼らの目的は、ミニスカートの澄香をテーブルの上で躍らせ、それを下から見ようという魂胆だ。周囲に流されるのは良くないとわかっているが、その場のノリというものがある。澄香はあきらめてブーツを履いたままテーブルに上がった。
 音楽に合わせて、見ようみまねで踊る。踊りはいまいちなのだが、下から見上げられる男性からの視線は、なんとなく気分を高揚させる。澄香は翔子と一緒になって、本来なら食事をするべきテーブルをブーツで踏みにじり、汚してしまった。テーブルには無数のブーツの足跡が残されたが、今の澄香にとってはそんなことは些細な事に過ぎなかった。

「ふー、疲れたね。」
 しばらく踊った後、二人はテーブルを降り、ダンスフロアの隅で休憩していた。
「そろそろ帰ろうか。」
 澄香が時計を見るともうすぐ終電だ。
「うん、帰ろう。あっ!」
 澄香は大事なことに気がついた。
「どうしよう、さっきのこびとなくしちゃった。」
「ん?こびと?なんのこと?」
 問う翔子に、澄香はトイレに行った時の酔っ払いのことを話した。
「なんだ、あたしに言ってくれればいいのに。買ったばかりのこのエナメルブーツで踏み潰してあげたのに。」
 翔子が真っ赤なエナメルブーツを澄香に見せる。
「話も聞かずに引っ張ったのは翔子でしょ。それよりどうしよう、たぶんさっきここに入った時に人にぶつかって落としたんだわ。このままあいつが助かって、誰かにあたしたちの光線銃の秘密をしゃべられたらどうしよう。」
「大丈夫だって澄香。これだけ人がいっぱいいるんだもの。きっと誰かに踏まれて今頃ぺったんこだよ。」
「ならいいんだけど。」
「きっとそうだよ。そんなことより澄香、どうする?朝まで踊るの、それとも帰るの?」
「今日は帰るよ。さすがに朝までは耐えられない。」
「まあ、最初だし、仕方ないね。どれ、澄香が変なオジさんに襲われないように、一緒に送って行くとするか。」
 2人は、小さくした男のことなどすっかり忘れて、ディスコクラブを後にした。


 翔子には、「誰かに踏まれて今頃ぺったんこ」と言われた酔っ払いのこびとだが、実はまだ生きていた。澄香の予想通り、ダンスフロアの中で澄香が人にぶつかった時に彼は投げ出されたのだ。だが、運が良い事に彼はぶつかった相手の編み上げブーツの紐に引っかかり、床への直撃をまぬがれた。
 しばらくの間彼は、澄香が自分を助けに戻ってきてくれると信じていた。だが、戻って来る気配すらなかったので自分から澄香を探しに行くことにした。ゆっくりと紐を伝って下へと下りる。ブーツの持ち主が激しく踊っている最中なので、一歩間違えれば、はずみで飛ばされてしまいそうだ。酔いもすっかり覚めた彼は慎重に下へと進んだ。最後は紐がなくなり、固い革だけとなるが、ここは滑り降りるしかない。ブーツを履いている女性の動きが止まった隙を突いて彼は無事床へと降り立った。
 地面に降りた彼は澄香を探す旅に出ようとしたが、早くも危機が訪れた。どこへ踏み降ろされるかわからない巨大な靴が次々と彼を襲う。幸い、彼の周りにいたのは女性ばかりなので、男性よりも体重が軽く、靴も床面積が小さいので踏まれる可能性はわずかながら低い。それでも踏まれたら間違いなく一撃で即死だ。ハイヒールやサンダルの女性もいたが、圧倒的にブーツを履いている女性が多い。彼は彼女達の巨大なブーツから逃げるだけで精一杯で、とても澄香を探す余裕などなかった。
 そうこうしているうちに時間が過ぎ、巨大な脚の隙間からはるか遠くに自分を小さくした女が、連れの女と帰っていくのを見つけた。これを見て彼は絶望した。彼はずっと澄香が自分を助けてくれると信じて疑わなかったので、見捨てて帰られたというのがショックでたまらなかった。実際のところ、彼が澄香に見つけてもらっても助けてもらうどころかそのまま踏み潰されるのがオチだが、そんな事は知らない彼はただショックに打ちひしがれていた。
 ただ突っ立っているだけの彼に向かって、遠くから巨大な化け物が近づいてきた。彼の目から見れば体長は3m余り。黒光りする巨大な甲虫だ。
 その正体は何の事はないただの体長3cmほどのゴキブリだったのだが、彼にとってはそれは化け物以外の何物でもなかった。化け物は彼を餌と思ったらしく、一直線に近づいてくる。その素早さは予想外で、もはや彼の命は絶望的だと思われた。
 だが、彼はついていた。彼の視点でおよそ10mほどの位置で、ギャルの履いていた巨大なブーツが化け物を襲ったのだ。
 ブチッ、グシャグシャ。
 鈍い音がして、化け物の白い体液が彼の目の前まで飛び散った。何の事はない、踊りに夢中のボディコンギャルが気づかないうちにゴキブリを踏み潰しただけなのだが、こびとの視点から見れば、彼女の力は女神にも匹敵するほどだった。
 ギャルが足をどかすと、そこには無残にも潰れてブーツの靴跡を刻みこまれた化け物の死骸が転がっていた。その死骸を見て彼はギャルの巨大なブーツに感謝するとともに、畏敬の念を感じていた。
 だがその直後、そのブーツが彼に牙をむいた。彼の視点で10mは離れていると言っても、実際はわずかに10cmしか離れていない。激しく踊ればあっという間の距離だ。ゴキブリを踏み潰した方のブーツが彼の頭上を覆う。見上げると、靴底には先ほど踏み潰したゴキブリの体液と羽がこびりついている。
「待て!何故俺まで?」
 彼は叫んだ。だが、当のギャルとしては彼を助けるためにゴキブリを踏んだわけでも、彼を殺すために踏もうとしているわけでもない。ただ、音楽に合わせて踊っているうちに気がつかないうちに踏み潰してしまっただけなのだ。
 そんなことを知らない彼は巨大なブーツによって彼女の体重を受けることとなった。固いゴキブリさえも簡単に踏み潰されるほどの力だ。丸腰の彼が耐えられる重さではない。いとも簡単に彼は踏み潰され、その生涯を終えた。

 その後も、激しく踊るボディコンギャルのブーツに彼は何度も踏み散らされた。一人の人間を踏み潰したというのに、ギャルは全くそのことに気づいていない。残酷のようだが、彼女は気づかないまま彼の残骸を踏みにじり、原型をとどめないほどにしてしまった。
 やがて朝が来て、ディスコは閉店の時刻となった。しかしこの時には、彼の残骸は次々に踏み散らされて、その痕跡すらなかった。床にかすかに残るどす黒い汚れが、ひっそりと残るのみだった。
 その汚れさえも、昼間、店の人にきれいに掃除され、跡形すらもなくなってしまった。

 次の晩も、彼が命を落とした場所で別のギャルがブーツを履き、床を踏みしめながら踊っていた。

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