メールフレンド

作:大木奈子

「ねえ、翔子、まだなの?その人の家?」
 澄香がしびれを切らして尋ねる。
「もうすぐだよ。ほら、あそこに見えるアパートがそう。」
 翔子が前方の古いアパートを指差す。
「やっと着いたのね。それより、何で今日は絶対にブーツじゃないといけないの?」
「それは、行けばわかるって。」
 翔子はそう言うと、目的のアパートへと向かう。本格的なブーツシーズンにはやや早い季節であった。

 ガチャリ。
 ドアが開いて、やや小太りの不健康そうな男がドアを開けた。彼こそが今日会う約束をしていた人物だ。
「はーい。翔子です。来たよ。」
「待ってたよ。どうぞ、中へ。」
 男は、翔子と澄香をドアの中へと招き入れた。

 今回風祭澄香は親友の前島翔子に誘われて、彼女のメル友の家に遊びに来た。彼の家は築30年以上は経っている古いアパートだ。年齢は30代半ばで、独身。職業は会社員だ。翔子と彼は、出会い系サイトで知り合って仲良くなったそうだ。
 ちなみに翔子はこれで彼と会うのは3回目だが、澄香にとっては初対面。初めて会う男の人の家なので、緊張の面持ちで澄香は家の中を眺めた。
「何ここ、汚い!」
 失礼とは承知だったが、あまりのことに思わず澄香は声を出していた。
 独身男性の一人暮しだと、部屋が散らかっていることはよくあることだ。しかし、この部屋は散らかっているという限度をはるかに超えていた。狭い部屋中にゴミから大切なものまで、所狭しと整理されずに散らばっている。そして、何よりもひどいのはその悪臭。男の汗臭い匂いというより、何かが腐って発酵したような悪臭がする。とにかく、こんな部屋で生活していたら病気になりそうな汚さだ。
「すいません。汚くて。」
 男が謝る。
「もう。これじゃあ、靴下汚れちゃうなあ。」
 澄香がつぶやくと、男は、
「あの、それでしたらどうぞ、靴のまま上がってください。」
「え、でも…。」
 せっかくの提案に澄香はためらうそぶりを見せる。本心はこんな汚い家なのだから迷わず土足で上がりたいのだが、男の誘いをあっさり受けるのは女としてプライドが許さない。
「いいじゃん、澄香。せっかくそう言ってるんだから、上がらせてもらおうよ。」
 翔子が当然という感じで言う。
「そうね。」
 翔子の薦めなら男に恩を着せられたことにならないだろうと思い、澄香は言われるままにブーツを履いたまま土足で男の家に上がった。
 他人の家にブーツのままで上がることに、澄香は不思議と全く抵抗を感じなかった。他人の住居を土足で踏みにじることに対する罪悪感より、自分の足が汚れずに済むという安堵感のほうが大きかったのだ。それに加えてブーツシーズンにはちょっと早い季節のため、澄香の足もブーツの中で相当蒸れている。その匂いを嗅がれずにすむというのも、土足に対する抵抗がなかった理由の一つだった。

 彼の家には、彼を含め4人の男たちがいた。彼らは全員翔子のメール友達。メールでクラッシュの話をしているうちにすっかり意気投合したのだ。今日は彼らに、翔子たちがブーツでのクラッシュを見せるために集まった。だから、ブーツじゃないとだめと翔子は言ったのだ。
 簡単に自己紹介がすむと、いよいよクラッシュの実演開始だ。
「今日は翔子ちゃん達のために、クラッシュのネタをいっぱい持ってきたよ。ぜひ、踏み潰してください。」
 部屋の中にビニールシートを敷き、その上に男達が持ってきたものが並べられる。粘土細工から食べ物までさまざまなものが並んだ。
「さあ、どうぞ。順番に踏み潰してください。」
 男に言われて翔子が立ちあがる。

「じゃあ、やるよ。」
 翔子はまず、置いてあるパンのかけらにブーツを乗せる。今日の翔子のブーツは、膝まである茶色い革のロングブーツ。つま先部分の厚さが5cm程度で、ヒールは太さが1cmくらいで細く、高さは10cm以上ある。
「あたしに踏まれるなんて幸せなパンね。」
 翔子のブーツのつま先部分がパンを覆う。音もなくパンは床とブーツの靴底の間に挟まれ、厚さを失った。翔子はゆっくりとブーツを持ち上げると、床に残ったパンには翔子のブーツの靴跡がしっかりと刻みこまれていた。
「見て見て、きれいな足跡!」
 翔子に言われて男達が覗きこむ。彼らは一斉に翔子のブーツの跡に賞賛を送った。
「今日はサービスしちゃう!」
 翔子は再びパンの上に乗ると、今度は激しく足踏みをはじめた。何度も何度もブーツの固い靴底で翔子の全体重を浴びせられ、パンはブーツの靴跡を刻みこまれ、床に敷かれたビニールシートと一体化した。
「はい、終了!誰か、欲しい人いる?」
「ぜひ、ください。」
 パンを持ってきた男が名乗り出る。彼はビニールシートに貼りついたパンを丁寧にはがし、あろうことかそれを口の中へ入れた。
「ありがとうございます。翔子ちゃんの踏んだものは何よりのご馳走です。」
 礼を言う彼の目には、うれし涙が浮かんでいた。

 澄香はこの一連の行為に激しい嫌悪感を覚えた。なぜ翔子が踏んだ物を食べなければならないのか?しかも、外を履いて歩いて来た、汚れたブーツで踏んだものを。何が楽しくて、他人に踏まれたものを「ご馳走」などと言えるのか。
 本来なら食べ物を踏み潰すという非人道的行為が批判されるべきなのだが、澄香はそちらの方には抵抗を感じなかった。人に踏まれたものを喜んで食べる男の異常性癖に対する嫌悪感のほうが強かったので、食べ物を踏み潰すというタブーの意識が吹き飛んだのかもしれない。澄香は、この異常な男達の住処に入ってしまった事を後悔していた。

「澄香ったら、何をボーッとしてるのよ。」
 翔子が声をかけてきた。
「初めてだからびっくりするのは分かるけど、慣れれば平気よ。彼らはちょっと人と違う性癖を持っているけど、悪い人じゃないし。それに、何よりも踏まれたものを見て喜んでいるのよ。だったら踏んであげるのが、世のため人のため、じゃない?」
「そうかもしれないけど…。」
 理屈では分かっていても、異常性癖はそう簡単に受け入れられない。
「澄香も踏んでみな。気持ちいいよ。」
 翔子が澄香を後押しする。ためらいながらも、澄香は踏み潰しをする事にした。

 ターゲットは卵。澄香はブーツを卵の上に乗せる。ちなみに澄香のブーツは、黒い革皮のロングブーツ。底は薄く、ヒールも太めで高さが5cm程度。よくある定番のブーツだ。
 澄香は卵の上に乗せた足に、少しだけ力を加えた。
  クシャッ!
 殻の砕ける音がして、卵は簡単に潰された。それでも100分の一に小さくした男を踏み潰した時よりは、多少は踏みごたえがあった。
 ブーツと床の隙間から、潰された卵の中身があふれ出てきた。
「やだ、汚い。汚れちゃうよ。」
 澄香は叫んだ。
「あはは。大丈夫だって。そのためにビニールシート敷いてあるんだから。」
 翔子が澄香をなだめる。
「違うよ。靴のほう。これじゃあ、あとでべたべたして大変だよ。」
「なんだ、そんなこと。そんなの歩いているうちにきれいになっちゃうよ。もしいやだったら、舐めてきれいにしてもらえば?ねっ!」
 翔子が澄香を椅子に座らせる。
「はい、靴底についた卵。おいしいよ。食べる人いる?」
 翔子が男達を見渡す。すると、一人の男が手を上げた。彼は無言で澄香の前にひざまつくと、卵を踏んだほうのブーツの靴底を舐めはじめた。
 その間に別の男がビニールシートに残った卵の残骸をすくって食べだした。

 足の裏を舐められながら、澄香は考えこんでいた。ブーツを履いているので、舐められている感覚はほとんど感じない。足元で男がぴちゃぴちゃ舌を這わせているのが不思議な感じだ。
 このブーツは長く履いているので相当汚れているはずである。今日も来るときに道の悪いところを通ったので、何を踏んだか分からない。そんなブーツの靴底を彼は舐めている。 あまりにも信じられない行為だ。もし自分が逆の立場だったら、絶対に他人の靴底を舐めたり、踏まれたものを食べたりはできないだろう。
 彼らがおかしいのか、それとも自分のブーツがそれほどまでに高貴で神聖なものなのか。考えているうちに、澄香は感覚が麻痺してきた。

 適応とは恐ろしいものである。最初は踏まれたものを食べられることに嫌悪感を抱いていた澄香だが、いつしかそれが当然のように思えてきた。当然のごとく食べ物を踏み潰し、その残骸を食べさせる。さらに、踏み潰した時に汚れたブーツの靴底までも男達に舐めさせる。
 自分はこの男達に比べてはるかに「普通の人間」だ。「普通の人間」は、彼らのような変わり者より偉い。だから、自分が踏み潰したものを彼らに食べさせて良いのだ。心の中でそう解決し、澄香は翔子と一緒に淡々とクラッシュ作業を続けた。

 やがてクラッシュ作業も一段落した。ビニールシート上には、食べ物のカスや、飛び散った汁、さらにクラッシュで犠牲になった諸々の残骸が散らばっていた。
 男達は興奮の頂点に達したらしく、目もうつろで遠くを眺めている。これに対して澄香は異常なほど冷静だった。
 自分は彼らに対して圧倒的に優位な立場にある。だから、彼らのものなら何だって踏み潰しても許される。命さえも…。
 こういう考えをすることが、すでに冷静ではなく特殊な精神状態になっているのだが、澄香はそのことに気づいていなかった。

「ねえ、翔子。せっかくだから、人間踏み潰しも彼らに見せてあげようよ。」
 珍しく澄香の方からのこびと踏み潰しの提案だ。翔子がのったのは言うまでもない。
「あ、面白いかも。どうせなら罰ゲームで負けた人が踏み潰されるなんていいかもね。」
 さっそく翔子は男達にゲームを始めることを告げ、ルールを説明しはじめた。
 ルールは簡単。ゲームに負けた人が罰ゲームを受けることになる。ただし、この段階ではまだ罰ゲームの内容は伏せてある。
 ゲームが始まった。しかし、一回目に負けたのは澄香だった。
「えー、やだあ。女の子に罰ゲームさせるなんて最低!」
 澄香が駄々をこねると、一人の男がおずおずと口を開いた。
「あのそれでしたら、僕が代わりに罰ゲームを受けてもいいですよ。」
「じゃあ、罰ゲームの相手、交代。いいね、澄香。」
「うん。」
 翔子に言われて澄香はうなずく。
「では、罰ゲームの説明をします。罰ゲームは、澄香の持っている光線銃で小さくなってもらい、あたし達に踏まれます。先ほど踏まれたものと同じ体験を身をもって体験できます。」
 翔子に言われても男達はまだピンと来ない。それもそのはず、人間が小さくなるなんて常識の発想では生まれてこないからだ。
「澄香、やってみな。」
 翔子に言われて澄香は光線中を男に向けて照射した。一瞬部屋がまぶしく光った後、彼は100分の一に縮められた。

 縮められた男は呆然としていた。何もかもが巨大化している。自分が縮められたというのが信じられない。だが、この状態で踏まれたらどうなるのだろうか?彼は巨大な2人の女性のブーツを見て不安を感じていた。
 彼の身を案じたのは、他の男達も同じだった。
「ちょっと、待て!この状態で踏んだら、あいつはどうなるんだ?下手すりゃ死んじゃうんじゃないのか?」
「あはは。かもしれないね。でも、踏まれたくらいで死んじゃうようなひ弱な体をしている方が悪いんじゃない?」
 と翔子。人間を踏み潰すことに何の抵抗もない。
「でも、死んじゃったらかわいそうじゃないか。」
「何言っているの?今まであんた達、今まであたし達にいろいろなもの踏み潰させてたじゃない。踏み潰されたものと同じ体験をするだけでしょ。もしそれでかわいそうと言うのなら、踏み潰されたものはかわいそうじゃないの?それとも、他のものなら踏まれてもいいけど、自分達だけは踏まれたくないというわがままを言っているのかしら?」
 口のうまい翔子に、男達はすぐには反論できない。
「ルールはルールだから、守ってもらうよ。澄香、そいつ踏んじゃって!どうなるか楽しみね。」
「分かったわ。」
 澄香は彼の頭上にブーツをかざす。靴底の凸凹が彼の視界を覆う。皮肉にも、直前に澄香のブーツの靴底を舐めたのは彼だった。
  プチッ。
 かすかな感触だけ残して彼は踏み潰された。さっき踏み潰したものの中で一番あっけなかった、というのが澄香の感想だった。

「じゃあ、次。二回目のゲーム行ってみよう!」
 翔子が楽しそうにゲームを始めようとする。
「ちょっと待て!」
 一人の男がゲームを止める。
「ゲームに負けたら『死ね』ってことだろ。こんなひどいことが許されていいのか?」
「負けなければいいじゃない。勝てば踏み潰されずにすむよ。」
「でも俺達が勝っても、てめえらは『女の子にお仕置きはさせられない』とか言って、俺達を踏み潰そうとするんだろ!」
「そんなことないよ。じゃあ、今度あたし達が負けたら、本当に小さくなるから。だから、お互いに逃げちゃだめよ。いいね?」
「よし、分かった。」

 ゲームの2回戦が始まった。今回負けたのは、先ほど翔子にいちゃもんをつけた男だ。
「うそだ!助けてくれ!俺はまだ死にたくない!」
 彼は頭を抱えてわめきだす。
「はい、はい。ルールは守ってね。澄香、小さくして!」
「うん。」
 問答無用で澄香の光線銃を照射され、彼は100分の一に縮められた。
「あたしのブーツに踏まれて死ねるなんて、幸せね。」
 翔子は小さな彼を、いとも簡単にブーツで踏み潰した。彼の体は、今日翔子が踏み潰した物の中で、一番踏みごたえのないものだった。

 残るは男二人に澄香と翔子。だが、ゲームはまだまだ終わらない。
「さあ、3回戦行くわよ。やりたくない人は不戦敗として踏み潰すからね。」
「ええー!?」
 翔子に言われて、彼らは悲鳴を上げた。
「大丈夫。これが最後のゲームにするから。リタイアするわけないよね。」
 彼らは従うしかなかった。

 3回戦で負けたのは、この家の持ち主。彼は迫り来る自分の運命を知り、がっくりとうなだれている。
「澄香、彼は助けてあげて。で、縮めるのはもう一人のほうにして。」
 翔子が突然とんでもないことを言い出す。助かったと思って胸をなでおろしていたもう一人の男は、大慌てで抗議をする。
「ちょと待て!俺は勝ったんだぞ!負けたのはあいつだ。それに、さっきのゲームが最後だったから俺は助かるはずだ!」
「たしかに彼の言う通りね。ルールをねじ曲げるのはいけないんじゃない。」
 澄香も彼を援護する。
「甘いな、澄香は。3人の男が行方不明になった責任を誰に取らせるかよ。この家で失踪したなら、疑われるのはこの家の持ち主になるでしょ。だったら、容疑者が生きていたほうがいいんじゃない?」
 男たちを目の前にして、翔子が自分の都合を並べる。
「そうか。光線銃の秘密を守らないといけないもんね。」
 翔子の言わんとした事を理解して、澄香もこれに同調する。男たちの非難の声が上がるが、そんなものは無視。簡単に踏み潰されるようなちっぽけな生き物の言うことなど聞かなくてもかまわない。
 澄香は抗議をする男を小さくすると、ブーツで踏み潰した。

 残されたのは、この家の持ち主だけ。
「じゃあ、あとはよろしく!踏み潰された3人の持ち物はちゃんと処分しておいてね。」
 翔子が勝手な注文を彼に突きつける。しかし、命拾いをした彼は、翔子の言うことなら何でも聞いてやろうという気になっていた。
「光線銃のこと、秘密にしておいてね。」
 澄香もそう言うと、彼の家を後にした。結局澄香たちは彼の家の中でも一度もブーツを脱ぐことはなかった。
 二人が去ったあと、彼はブーツで踏み散らされたものの残骸を一人で処理し始めた。


 数日後、彼も姿を消した。3人の男の失踪事件の鍵を握る人物として、マークされていた中での失踪劇だった。
 そのため彼が3人の失踪事件の犯人で、捜査が迫り逃げられないと判断して自分も逃走した、と言われるようになった。
 だが本当のところは違う。彼も光線銃の秘密を守るために翔子たちに呼び出されて、小さくされたあげくに踏み潰されたのだ。
 いくら捜査をしても、男達と翔子との接点は見つからず、この事件も迷宮入りすることとなった。

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