差別と犯罪予防

作:大木奈子

 21世紀に入り、○○人の犯罪摘発件数の急激な増加と、○○人以外の権利意識の高まりが行政や鉄道会社を動かし、ついに○○人以外専用車両を誕生させた。
 導入後の乗客の反応は予想以上に好評だ。○○人以外専用車両に乗っている人にインタビューすると、
「○○人がいないと安心して乗れていいですね。」
「他の車両に乗っている人が○○人の犯罪の被害に遭っているんじゃないかと心配です。」
「○○人は全員犯罪をする可能性があるので、全車両別々にして欲しいですね。」
と、大好評。
 対する○○人からも、批判意見はあまり聞かれない。
「冤罪の可能性がなくなってほっとしています。」
「○○人の犯罪が多いなら、積極的に別車両にして犯罪を減らすべきでしょうね。」
このような肯定意見が意外と多かった。
「うーん、仕方ないんですかね。」
批判意見は、せいぜいこのような苦笑を浮かべる程度だった。
 もちろん反対意見がなかったわけではない。導入当初は、「○○人差別だ!」という声も多く、
「○○人の冤罪を防ぎたいなら、○○人のための専用車両も作って欲しい。現状の○○人以外専用車両だけを作るのは差別だ。」
「事件の根本的な解決になっていない。悪いのは犯罪という行為であって、○○人ではない。犯罪取締りを強化すべきだ。」
「同じ料金を払っているのに、一両分乗れない車両があるのはおかしい。どうしても○○人以外の特別車両を作りたいなら、乗車整理券でも配ってその分別料金にするべき。」
などといった意見もあった。
 しかし、せっかく登場した○○人以外専用車両を軌道に乗せるために、あえてこれらの反対意見は無視された。マスコミ各社は一斉に○○人以外専用車両を支持する方針を打ち出した。コメンテーターも賛成意見ばかりを流し、街頭インタビューも賛成意見しか取り上げなくなった。そのため、いつしか反対意見を口にすることがはばかられるような雰囲気になっていた。


 澄香が初めて○○人以外専用車両を利用したのは、導入されてからだいぶ経ってからだった。専用車両がある事はニュース等で知っていたが、その路線に乗るチャンスがなかなかなかったため、今回が初めての利用となる。
 その日は、翔子のバイトの手伝いに行った帰りだった。翔子にはバイトの帰りに毎週乗る路線だが、澄香にとっては久しぶりに乗る路線だ。始発駅の案内板に、『1号車は○○人以外専用車両です』という文字があるのを澄香は見つけた。
「あ、これが噂の専用車両ね。」
 澄香が言う。
「ねえ、翔子。せっかくだからこっちに乗りましょう。」
 翔子の腕を澄香が引っ張る。しかし、翔子はいやな顔をする。
「えー、なんでよ?逃げてちゃだめだよ。隙さえ見せなきゃ犯罪に遭わないんだし。それに世の中、常に出会いを大切にしないと。どこに素敵な出会いが転がっているかわからないよ。」
「素敵な出会いなんてそう簡単にあるわけないよ。それより、○○人と一緒だと犯罪に遭うかもしれないよ。せっかくニュースで話題になったんだから、乗りましょう。ねっ!」
 澄香に言われて仕方なく翔子がついてきた。

「ふーん。専用車両っていうから何か特別な車両かと思ったけど、普通の車両なのね。」
 澄香は少しがっかりした。
「だから言ったでしょ。こっち来ても良いことないって。車両も他のと全然変わらないし。」
「でも、翔子。こっちの車両空いてて良かったじゃん。おかげで座れたし。」
「まあね。あっちだったら立っていないといけなかったね。さてと、せっかく座れたんだから、澄香、着いたら起こしてね。」
「あ、ちょっと!」
 澄香に抗議する暇も与えず、翔子はたぬき寝入りをはじめた。
 始発駅なので発車まで少し時間がある。二人が乗ったときには空いていた車両も、いつしか立っている人もちらほらとでてきた。
「あーあ。もうすぐ発車ね。それにしても、○○人がいないのって安心ね。」
 澄香はあくびをしてつぶやいた。


 彼は○○人だ。○○人以外専用車両に対して決して良い印象を持っていなかったが、あえて批判する勇気もなく、決められたルールに従うことにしていた。
 彼が改札口をくぐったところで、発車のベルが鳴り出した。この路線はまだ終電まで何本かあるが、彼は途中駅で乗りかえる。その乗り換えの終電に間に合うためにはこの電車に乗らなくてはならない。彼は大急ぎで走った。
 「ドアが閉まります!ご注意ください。」
 場内アナウンスが流れた時、彼はホームに到着した。しかし、運が悪い事に目の前は○○人以外専用車両。彼は乗ることができない。だが、隣りの車両までホーム上を移動していたら、ドアが閉まってしまうだろう。そうなれば、駅のホームで一晩過ごすことになる。
 犯罪をしようとは全く考えていない彼にとって、こういう時○○人以外専用車両というのは困りものである。
 迷った彼は、○○人以外専用車両に飛び乗り、車内を隣りの車両に移動する事にした。彼が飛び乗った瞬間、列車のドアが閉まった。

「良かった、間に合った。」
 彼は深呼吸すると、隣りの車両に移動するため、歩き出した。
「ちょっと、あいつ、○○人じゃない?」
彼の姿を見つけた女性達がひそひそ声で会話をはじめる。
「本当だ。専用車両なのに何で乗っているのよ。」
「絶対に犯罪目的よ!」
 女性達の会話を聞いて、澄香は彼の存在に気がついた。そして、彼の姿を確認すると急に強い憤りを覚えた。○○人以外専用車両に○○人がいるというのは、いかなる理由があるにしろ絶対に許されない。乗ってはいけないというルールを無視して乗るような奴は、犯罪目的に間違いない。このような奴は小さくしてお仕置きをしてもかまわない。澄香は勝手にそう判断をした。
「翔子、起きて!」
 澄香は隣りで寝ている翔子を、ひじで突ついて起こす。
「何よ。まだ発車したばかりじゃない。」
 翔子は不機嫌だ。
「あいつ、どうする?」
 澄香が目で彼を指し示す。すぐに翔子は気づいた。
「やればいいんじゃない。周りの人も○○人の犯罪には迷惑しているから、口止めするのは簡単だし。」
「分かったわ。」
 澄香は光線銃を取り出すと、男に向かって照射した。

 ピカッ!
 車内が一瞬光る。何人かは何事かと思ってキョロキョロするが、大多数は見て見ぬふりをしている。電車の中で一緒になった人々の連帯感とはこの程度のものだ。光に気がついた人達も、すぐに目をそらし気づかぬふりをしている。澄香の行為に興味を示しているのは、目の前に立っている五人組の女性グループくらいのものだ。
「やったね。」
 澄香と翔子は席から立ち、小さくされた男のほうへ近づく。
「ねえ、あなた達。今何をやったの?」
 男が消えた事に対して、五人組の女性グループが興味津々で聞いてきた。見たところ、全員澄香達より少し年上で、20代半ばのOLといったところだ。
「秘密、守れますか?」
 質問には答えずに、翔子が逆に小声で尋ねる。
「え?」
 彼女達は一瞬顔を見合わせる。
「これから、さっきの○○人を懲らしめるんですけど、誰にも言いませんか?」
「ええ、まあ。」
 翔子の勢いに押されて、彼女達はうなずいた。

「見てください。」
 翔子が足もとの男を見せる。
「…!」
 彼女達は息を飲んだ。さっきまで歩いていた男が2cm足らずのこびとになっている。みんな一瞬自分の目を疑った。
「○○人以外専用車両に乗ってきたから小さくしたんです。○○人のくせに、専用車両に乗るというのは、犯罪以外に目的は考えられませんから。」
 澄香が説明する。
「で、これからこいつにお仕置きをするんだけど、誰にも言わないでくださいね。」
 翔子が付け加えた。

「さて、じゃあ、何をしようかな?」
 澄香が足下の○○人に向かって言う。澄香達にとっては遊び半分のお仕置きだが、やられる彼にとってはたまったものではない。何もしていないのに、いきなり犯罪者呼ばわりされ、小さくされたのだ。しかもこれからお仕置きを受けなくてはならない。目の前にそびえたつ巨大なブーツを見ながら、彼は恐怖に震えていた。
「まずは、ブーツを舐めさせるのはどう?」
 翔子が言う。こびとで遊ぶアイデアを出すのは翔子の方が得意だ。
「それ、いいねえ。じゃあ、舐めて!」
 澄香が彼の目の前にブーツを差し出す。彼の目の前に幅数メートル、長さ20メートル余り、高さ数十メートルの巨大なブーツが踏み降ろされる。こんな巨大なものを舐めるのは到底無理なことだ。あまりに無茶な命令に、彼は動けなかった。
「ねえ、舐めないと踏んじゃうよ。」
 翔子が、彼の頭上にブーツを持ち上げる。ブーツの靴底の影が彼を覆う。彼は恐怖に震えた。このままでは本当に踏まれてしまう。そして、踏まれたら無事では済まないだろう。
 『死にたくない。』
 彼はその一心で、澄香の巨大なブーツのつま先の先端を舐めはじめた。一日中外を歩いたブーツである。当然、目をそむけたくなるような汚れもこびりついている。彼はブーツに舌を触れた瞬間躊躇したが、生き延びるにはこれしかないと思い直し、無我夢中でその汚れも舐めはじめた。

「ねえ、あなた達。面白そうだから、私達も参加していい?」
 面白半分に見ていた五人組の女性グループが口を挟む。
「いいですよ。」
 翔子があっさりOKする。こういう時秘密を守らせるには、相手を傍観者ではなく当事者にしてしまうのがポイントだ。自分達もこびといじめに加わったとあれば、彼女達も口外しにくくなるだろう。翔子はそこまで考えていた。
「でも、全員のを舐めさせるのは時間がないから、キスさせるくらいが限度かな?」
 こびとである彼が本気で澄香のブーツを全部舐めようとしたら、それこそ丸一日かかるだろう。電車に乗っているわずかな間にこびとで遊ぶには、適当なところで妥協しなければならない。
「おい、お前。」
 翔子が彼に声をかける。一瞬彼は翔子を見たが、舐めるのを休んで踏み潰されるのが怖かったので、そのまま一心不乱に澄香のブーツの先端を舐め続けた。
「もう舐めなくていいよ。」
 翔子に言われて、ようやく彼は舌を動かすのをやめた。
「舐める代わりに、私達全員の靴にキスして。両足によ。」
 彼は絶句した。「全員」とは、澄香に翔子、それに五人組の女性達の合わせて7人。彼女達は数十センチ間隔で立っているだけだが、彼から見ればその間隔は数十メートル。かなりの距離があるので、全員の足をまわるだけでも大変だ。
「じゃあ、始め!遅かったら踏み潰すからね。」
 翔子が再びブーツを彼の頭上にかざす。身の危険を感じた彼は、目の前のブーツにくちづけをすると、もう片方の澄香のブーツへ向けて走りだした。

「ほら、遅いぞ!あんまり遅いと踏み潰しちゃうぞ。」
 翔子がブーツを持ち上げ、彼にプレッシャーをかける。踏まれてはたまらんと全力疾走をする彼。巨大な女性の汚れた靴を目の前にして、彼はためらうことなくくちづけをした。一瞬でもためらっていたら踏み潰される。その恐怖が彼を動かしていた。
 パンプスあり、サンダルあり、ローファーあり、ハイヒールあり、そしてブーツ。五人組の女性達はさまざまな履物を履いていた。しかし、彼にはそれらをじっくり観察する暇さえなかった。無我夢中で走り、汚れた靴先にキスをする。「踏み潰されたくない。」彼の頭にはそれしかなかった。
 やがて最後の一人、翔子だけとなった。全力疾走を続けた彼は息も絶え絶えだったが、必死で走り、翔子の両足のブーツにくちづけを終えた。

「はあ、はあ。」
 彼は肩で息を切りながら倒れこんだ。普通だったらとっくにリタイアしているような状態で走りつづけたのだから無理はない。お腹は痛いし、心臓はドキドキ、喉はカラカラである。口の中はさっき澄香のブーツを舐めた時のざらざらした違和感がまだ残っている。
 だが、彼は内心ほっとしていた。不条理なお仕置きとは言え、言われた事は成し遂げたのだ。もう踏み潰される心配はない。助けてくれるだろう。そんな期待を抱いて彼ははるか上空の女性達を見上げた。
「すごーい!やればできるじゃない。」
 翔子が感心する。
「本当。降りる駅までに間に合わないかと思ったのに。犯罪をたくらんでいる○○人にしてはよくやるよね。」
 澄香も同調する。
「どうする?もう、降りる駅だけど。」
 翔子が澄香に尋ねる。ここまで脅せば、もう専用車両に乗りこもうという気は起きないだろう。
「決まってるじゃない。こうするのよ。」
 澄香はブーツを持ち上げると、彼を踏み潰した。
  クシャ!
 というかすかな音を立てて彼の体は澄香のブーツの底で砕け散った。と、同時に列車のドアが開いた。
「じゃあ、私達降りますので。」
「くれぐれも誰にも言わないでくださいね。」
 澄香と翔子は、五人組の女性にお辞儀をすると、電車から降りていった。

 残された五人の女性は呆然としていた。床には澄香のブーツの靴跡を刻みこまれた、体長2cm足らずのこびとの死骸が転がっている。
「どうしよう?」
 誰かが言う。
「悪いのはこいつなんだから、気にする事ないんじゃない。」
「そうだよ。あたし達まで関係者だと知られると困るから、黙っていた方がいいよ。」
 彼女達はこの事件を黙殺する事にした。
「そうと決まれば証拠隠滅よ。」
 一人の女性が、彼の死骸をドアの方へ蹴っ飛ばした。ドアに向かって点々と残っていた澄香のブーツがつけた血の跡も、彼女達が踏みにじって消し去った。
「これで安心ね。絶対にこのことは秘密よ。」
 五人の女性は、誓い合った。

 電車が次の駅に到着した。彼女達は○○人の死骸を電車とホームの隙間に蹴り落とすと、何事もなかったかのように去って行った。


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【注釈】
 この文章は、一切の差別を肯定するものではありません。また『○○人』には、特定の人種、民族、国名等が入るものでもありません。
 どうしても差別的表現が気になるという方は、『○○人』を『男の人』、『犯罪』を『痴漢』に置き換えてください。

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