巨大化した澄香

作:大木奈子

「はい。これでOK。これからは、翔子ちゃんも光線銃使えるよ。」
「ありがとうございます、麻紀さん。」
翔子が麻紀にお辞儀をした。
「一応言っておくけど、無茶な使い方しないでね。」
麻紀は光線銃使用に関する注意事項を翔子に伝えた。

 澄香と翔子は、澄香のいとこにあたる麻紀を訪ねた。麻紀は澄香より10歳年上で29歳。幼顔の澄香とは違い、仕事のできる大人の雰囲気を漂わせている。まだ20代ながら、とある研究所の主任研究員をしている。この研究所こそが、澄香が持っている人間を100分の1に縮められる光線銃を開発した場所で、麻紀はその中心人物だ。このあたりの頭の良さは、無名の平成女子大に通う澄香には似なかったようだ。
 澄香にとって麻紀は、年齢こそ離れているが小さい頃から会う機会も多く、頼れるお姉さんと言ったところ。赤ちゃんの時に麻紀におむつを取り替えてもらったこともあるほどだ。年上でも気を使う必要はないかわり、いつまでも子ども扱いをされるのが不満であった。

「澄香のいとこってすごいじゃん!」
研究所からの帰り道。電車から降りたところで翔子が口を開く。
「そう?今一つ実感がわかないんだけどな。」
小さい頃から当たり前のように接してきた澄香にとって、麻紀はただの優しいいとこでしかない。
「すごいよ。うちの親戚にあんな人いないから。うらやましいな。」
「そこまで言われると、なんか照れるな。」
澄香はすっかり上機嫌になった。
「ところでさ、澄香。光線銃貸して。」
突然翔子が話題を変えて、手を差し出す。
「ええ!?いきなり?」
「だって、私も光線銃使えるようになったんでしょ。早く試してみたいもん。」
「人目につくところで使って、騒ぎ起こさないでよ。」
澄香は仕方なく翔子に光線銃を手渡した。
「大丈夫だって。麻紀さんの注意はちゃんと聞いていたから。ところで、このボタン何かな?」
翔子は光線銃についている小さなボタンを押した。しかし、何も起きなかった。
「なんだ、つまんないの。何も起きないじゃない。」
翔子は光線銃を澄香に向ける。
「とりあえず、実験ね!試し撃ちするよ。」
「だめー!」
小さくされてはたまらないと、澄香は翔子から光線銃を取り返そうとする。しかし、タッチの差で間に合わず、澄香はまぶしい光に包まれた。
「きゃあああ!!」
澄香の声があたりにこだました。

「え、これは?」
まぶしい光が消えて周囲が見えはじめた時、澄香は驚いた。てっきり100分の1に縮められたと思ったのだが、そうではなかった。周囲にあるものすべてが信じられないくらい小さいのだ。
 駅前のビルでさえ、膝の高さ程度。ちょっとしたマンションなんかは、30cmほどの高さしかない。足元を走る車なんかも手のひらに乗るサイズだ。周囲には自分の視界を遮る高さの建物は一つもない。
 ここに至って澄香は確信した。自分は100分の1に小さくなったのではなく、100倍に大きくなったのだと。
 澄香は足元の翔子を探した。翔子を見つけた澄香は、しゃがみこんで手をのばした。

「ええ、うそー!」
予想外のことに翔子も驚いていた。光線銃を浴びた澄香が小さくなるはずなのに、巨大化したのだ。おそらく、さっき光線銃についていたボタンを押した時、縮小モードから巨大化モードへ入れ替わったのだろう。さっき麻紀が、「小さくしたものを大きくする時は、このボタンを押しなさい。」って言っていた気がする。こんなことなら、麻紀から使い方をもっとまじめに聞いておけば良かったと思った。
 翔子は目の前の巨大なブーツを見つめた。黒革のロングブーツ。表面は綺麗に磨かれて黒い光沢があり、その高さは数十メートルにもおよぶ。あまりの迫力に、神の世界まで届いているような錯覚さえ感じる。翔子は、小さくされたこびとの気持ちが少しわかったような気がした。
 はるか上空を見上げると、澄香の顔が見えた。目が合った瞬間、澄香がしゃがみこむ。この時澄香のお尻が近くのビルを直撃し、大音響と共に壁の一部が崩れ落ちた。だが、澄香はそんなこと意にも介さず、翔子を捕まえると目の前まで持ち上げた。翔子の目の前に、巨大な澄香の顔が現われた。

「ちょっと、なんてことするのよ。すぐに元に戻してよ。」
澄香は完全に怒っていた。普通にしゃべったつもりが、語気が荒く声量も大きかった。そのため、目の前の翔子にとってはものすごい大音響。しゃべった勢いで吹き飛ばされ、乗っている手のひらから落ちそうになった。
「ごめん、ごめん。」
翔子は大慌てで謝る。
「すぐに戻すから落ちついてよ澄香。私が光線銃持っているんだから、ここから落ちたら、あんた、元に戻れなくなるよ。」
「あっ、わかった。」
澄香は声の調子を落として、小声でささやく。
「わかったから、早く元に戻してよ。」
「その前に、せっかく巨大化したんだから、もっと遊んでからにしようよ!」
「他人事だと思って。大騒ぎになったらどうするの?」
「もう、大騒ぎになっているったら。今、ここで元の大きさに戻ったら、下にいるみんなから袋叩きにあうよ。騒ぎを起こすんじゃないって。ほら、足元見てごらん。」
手のひらの上で翔子は下を指差す。それにつられて澄香は自分の足元を見つめた。足元では無数のこびと達が澄香を見上げていた。
「みんなあんたのパンツ見てるよ!あはは。今小さく戻ったら恥さらしもいいところだね。」
「許せない!」
翔子の挑発に乗せられ、澄香は怒りをこびと達にぶつけた。
「女の子の下着を見るなんて、痴漢じゃない!」
澄香はこびと達の群れを手当たり次第にブーツで踏みにじった。

 とんだとばっちりを受けたのは、罪もない一般の人達。つい先ほどまで彼らにとってはごく普通の夕方の風景だった。駅に向かう人、駅から家へ帰る人、駅前広場はごった返していた。
 そこに突然の巨大女性が出現した。一瞬の出来事で、どこから現われたのかもわからない。彼女の体長は約160メートル、推定体重およそ5万トン。通常の人間の100倍のサイズだ。
 突然の出来事に彼らは逃げることも忘れ、呆然と巨大女性を見守っていた。すると、まもなく彼女がしゃがみこみ、一人の女性をさらうとはるか上空へと運び上げた。このとき彼女のお尻でビルが壊され崩れ落ちた瓦礫に埋もれ数人が犠牲となったが、彼女は全く気にするそぶりさえなかった。
 彼らはかたずを飲んで巨大女性を見つめた。とはいえ、彼らにとって彼女は巨大すぎた。見つめると言っても、ブーツだけでも大きさは20メートル以上、高さは4,50メートルある。そのため、彼らは目の前の巨大なブーツを見るのが精一杯。上を見上げても彼女のスカートが邪魔して、顔はおろか上半身さえも見ることはできない。足元にいる彼らの位置からはスカートの中の下着が丸見えだが、あまりの巨大さに性欲よりも畏敬の念を感じていた。
 そんな彼らに不幸は突然訪れた。巨大なブーツが持ちあがると、いきなり彼らめがけて振り下ろされた。巨大なブーツは、逃げることすらできなかった彼らだけでなく街灯やガードレールもまとめて押し潰し、地面の中へと埋めた。勢いをつけて踏みしめたので、ブーツのヒールの部分がアスファルトを突き破り地面にめりこんだ。
 彼らのうち運良く難を逃れた者は、目の前の巨大なブーツを見て恐怖を感じた。だが、これは彼らの悲劇の序の口だった。何人もの命を一瞬で奪ったブーツは、すぐに上空へ上昇すると次々に別の集団の上へと踏み下ろされた
 必死で逃げ惑う人々で駅前ターミナルはパニックに陥った。人々の怒鳴り声や、叫び声に泣き声。我先にと人々は遠くへ逃げようとした。だが、逃げ惑う彼らに容赦なく巨大なブーツが襲いかかる。巨大なブーツの前では彼らは無力すぎた。逃げ足よりもブーツの動きの方が速く、わずか数十秒で彼らは全滅した。
 澄香の足元には、もはや駅前広場の形跡は全く残されていない。代わりに無数の澄香のブーツの足跡が刻みこまれ、そこには、潰れて地面に埋もれた瓦礫のなかに血まみれになった肉の塊が残るだけだった。

「やり過ぎだよ、澄香。」
翔子に言われて、澄香はようやく自分の行なった現実に気がついた。
「いくらなんでも、下着見られたくらいで全員踏み潰すことないのに。すぐマジになるんだよな、澄香って。」
「ごめん。」
「いや、あたしはいいよ。人間が踏み潰されるのを楽しませてもらったし、あたしが踏まれたわけじゃないから。ただ、ここまでやったら大騒ぎだよ。」
「どうしよう。あたし、元に戻ったらどうなるのかな?死刑はやだなあ。」
事の重大さに気づいた澄香は青くなる。
「あはは。さんざん人を踏み殺しておいて死刑はいやだなんて。大丈夫だって、まだうちらは未成年だから。そう簡単に死刑にはならないよ。」
相変わらず翔子は脳天気だ。
「他人事だと思って。だいたい、あんたが『みんな私のパンツ見てる』なんて言うから。それどころかそれ以前に、こんなところであたしを大きくしたのが悪いんでしょ。」
追い詰められた澄香が翔子に強く迫る。身の危険を感じた翔子は、とっさに機転を利かせた。
「ごめん、ごめん。良い解決策見つけたからさ。怒らないでよ。」
「なに?」
「このまま逃げちゃうのよ。澄香が暴れたおかげで幸いなことに、光線銃で大きくなったところを見た人は誰もいなくなったし。それに今は夕方で視界が悪いから、逃げる途中に見つかっても、遠くから見ただけじゃ誰だかわからないよ。」
「でも、逃げた後は?」
「誰もいないところで元の大きさに戻る。そして人ごみにまぎれこめば、もう完璧!絶対誰がやったかわからないって。」
「本当?」
翔子の思いつきに不安な澄香。疑念を隠しきれない。
「信じないのならいいわよ。ここで元に戻って、みんなに捕まることね。」
翔子が突き放す。追い詰められた澄香は、一か八か翔子の作戦に賭けてみることにした。
「わかった。やって見る。」
澄香は決意をこめてうなずいた。

「じゃあ、目標はあそこの丘。公園になっていて木も多く生えているから、隠れるには都合がいいよ。」
「わかった。」
澄香が一歩を踏み出す。だが、すぐに足を止める。これから澄香が進むべき駅前の大通りには人や車があふれていたのだ。
「どうしよう、足元の人達がじゃまで進めないよ。」
澄香が戸惑いの表情を浮かべる。
「何言っているのよ!逃げないでこんなところでうろうろしている方が悪いんだよ。かまわず踏んで行っちゃいなよ。」
「でも…。」
「もうすでに何十人も踏み潰しているんだから、ちょっとくらい犠牲者が増えても平気だよ。見ず知らずの人の命と、あんたの人生どっちが大切なの?」
翔子に言われて澄香は覚悟を決めた。
「わかった。いくよ。」
澄香は、逃げ惑う人々でパニックに陥っている駅前大通りにブーツを踏み下ろした。ブーツの下で3台の車と10人程が犠牲になったが、澄香はもうそんな事気にしなかった。

 ズシン!ズシン!
地響きを立てながら巨大な澄香が進む。澄香の一歩一歩が何人もの命を奪って行く。人々は必死になって逃げ惑うが、運悪く澄香の歩みの先にいる者はことごとく踏み潰されて命を落とした。
 しかしブーツを履いている澄香には、自分に踏まれたものの断末魔の叫びなど全くもって感じることはなかった。巨大化した時に無敵になったようで、何を踏んでもブーツの表面には傷一つつかない。タンクローリーを踏んで大爆発を起こしたときも、澄香は火傷どころか熱ささえも感じることなく、またブーツの表面も無傷であった。
 彼女が歩いた足跡には、すべてのものが地面と一体化していた。人間も車も、街灯も街路樹も5万トンの体重を受け、すべて一瞬で真っ平らになってしまった。足跡の一つ一つが、何人もの尊い命を奪った忌まわしい記録となった。

 駅前の大通りを進んだ澄香は足を止めた。この先は住宅地が広がっていて、道が曲がりくねって狭くなっている。おまけに澄香のブーツ幅の方が道幅よりも広い。
「どうしよう。狭いから、家とかも踏んじゃうよ。」
澄香は迷った。今まで何百人も踏み潰してきたとはいえ、ちゃんと自分は公道を歩いて来た。道を歩いている時に虫を踏み潰すのは悪いことだろうか?いや、踏まれる場所にいた虫の方が悪い。それと同じで、自分が道なりに歩いているのに、もたもたして逃げない人達の方が悪い。踏み潰しは残酷と言う前に、素早い蟻のように逃げればいいのだ。いささか苦しい理屈ではあるが、澄香は群集を踏み殺すことを正当化していた。
 しかし、住宅地は違う。道ではない場所に勝手に入っていくわけである。例えて言うなら畑に入りこんで作物を踏み荒らすようなものだ。さすがにそれは少し抵抗がある。
「急ぐんだから仕方ないよ。踏まれたほうも運が悪かったってあきらめてくれるよ。どうせ家とか壊しちゃうなら、そのまままっすぐ進んで行っちゃいな。」
迷っている澄香を翔子がそそのかす。
「うん。わかった。」
もう、ここまで来たら、毒を食らわば皿まで。この際、多少踏み潰すものを増やしても大差はない。澄香は目標に向けて一直線に歩き出した。
 最初の一歩が一戸建ての家を直撃する。巨大な澄香にとっては、家さえもマッチ箱のようなものだ。さしたる抵抗もないまま中にいた人間もろとも真っ平らにして、靴跡を刻みこんだ。
 次の1歩を踏み出すために巨大なブーツが天に帰っていく。跡に残されたのは、スクラップになった建築廃材がブーツの靴跡に埋もれているだけで、廃材の間から染み出た血がその中にかつて人が存在していたことを物語っていた。
 次の1歩が別の民家を直撃した…。

 ようやく澄香は目的の公園のある丘の上に登った。素早く行動したおかげで、まだこの公園には誰一人野次馬はいない。公園にいたのは木陰で愛を確かめ合っていた男女だけだったが、彼らは澄香に気づかれることもなく樹木とともに踏み潰された。
 後ろを振り返ると、住宅地の中に澄香の足跡が点々と残っている。踏まれた建物は、跡形もなくなり地面にブーツの靴跡が残っているだけだった。澄香は自分がした行為に興味を示さず、手のひらの翔子を見つめた。
「さあ、ついたよ。早く元に戻してよ。」
澄香が翔子を優しく地面に下ろす。
「はい、はい。」
翔子は、地面に降りると光線銃を澄香に向けた。
「光線銃が壊れて戻れなかったらどうする?」
翔子がいたずらっぽく笑う。
「冗談じゃない!踏み潰すよ!」
澄香に脅され、翔子は肩をすくめる。
「からかわないで、早く戻した方が良さそうだね。」
翔子は光線銃を縮小モードに戻すと、澄香に照射した。

「ふ〜。やっと戻れた。」
澄香が安堵の表情を浮かべる。
「安心してる場合じゃないよ。あれだけ騒ぎを起こしたんだから、ここに人が来るのも時間の問題。さっさと逃げるよ。」
澄香と翔子は夕闇にまぎれて公園を逃げ出した。夕闇にまぎれた彼女達の様子を見ていた者は誰もいなかった。

 街は大きな被害を受けたので、犯人探しよりも災害救助の方が優先された。そのため、澄香たちのところまで捜査の手は及んでいない。澄香が巨大化するのを見た人間が全員踏み潰されたのと、夕方で薄暗かったため遠くからでは巨大女性の正体が判別できないのが幸いして、この事件は迷宮入りすることとなった。

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