露天風呂のマナー

作:大木奈子

 澄香と翔子は、雪深い山の中の温泉街に遊びに来ていた。澄香と翔子は同じ大学に通う親友。今回は翔子の誘いに澄香が乗った形になった。
「やっぱり、温泉といえば露天風呂よね。」
翔子が目を輝かせる。
「山奥の人目につかない露天風呂での素敵な男女の出会い。裸の付き合いで、いつしか二人の間に芽生える愛情。最高じゃない!」
「そんなに言うんだったら、彼氏と二人で来たら?」
冷めた口調で言う澄香。
「彼氏がいたら澄香なんか誘わなかったよ。別れちゃったんだから、仕方なくあんたと一緒に来たんだからね。だからここは男の子を捕まえるっきゃないのよ。」
「まあ、素敵な人がいればね。」
「よし、そうと決まれば出発。露天風呂での素敵な出会いを捕まえるのよ。」
翔子と澄香は露天風呂へと歩いて行った。

「で、澄香。なんで水着なわけ?」
脱衣所で翔子が尋ねる。
「だって恥ずかしいじゃない。」
澄香が答える。
「でも、澄香。かっこいい男の子がいたらどうするの?水着じゃ相手も興冷めだよ。」
「じゃあ、逆に聞くけど、エッチなオヤジがいたらどうするの?何されるかわからないわよ。だから、水着でガードするのは当然のことじゃない。」
「そうだけど、さあ。あんたが水着なら、あたしも着ないと露出狂みたいじゃない。まったく、もう。いい男いたらすぐに脱ぐんだからね!」
二人は水着に着替えて露天風呂へと向かった。

 露天風呂の湯煙の中に、見える人影は2人だけ。
「誰もいないね。」
湯煙の中、お湯に浸かりながら澄香が言う。
「本当。出会いを期待していたのに、あてが外れたね。」
翔子がため息をついた。
 その時、湯気の向こうから誰かが近づいてくる。
「誰かな?」
翔子が期待して見つめる。だが、翔子の期待はあっさり裏切られた。やってきたのは小太りの中年男性だった。

「なんだ、つまんないの。あっち行こう。」
二人は立ちあがり、男性と反対の方へ移動しようとした。
「お前達、ちょっと待て!」
突然、中年男性が大声を上げる。
「なんで水着を着ているんだ?」
彼は尋ねた。
「いいじゃない。そのくらい。混浴なら水着着たって問題ないでしょ。」
翔子が反論する。
「いいや、いかん!ここは温水プールじゃない。温泉だ、お風呂だ。お前達は家で水着着て風呂に入るのか?」
「んなわけないじゃん。うるさいなあ。それとも、何?おじさん、あたし達の裸が見たいんだ?」
「違う!俺はなあ、温泉のマナーを教えているんだ。近頃の若いもんはマナーがなっとらん。水着で温泉に入ったりして、温泉をなんだと思っているんだ!」
「関係ないじゃん。ムカつくなあ。澄香、光線銃出しな。このおっさんを小さくするよ。」
翔子は完全な『逆ギレ』状態に入っている。
「ちょっと待ってよ、翔子。水着しか着ていないんだから、持っているわけないでしょ。」
「じゃあ、脱衣所から持ってくるから。」
「待って、翔子!」
澄香が止めるのも聞かず、翔子は脱衣所へと戻っていった。

「全く、最近の若いもんは。お前も水着を脱ぐか、すぐに風呂を上がるかどっちかにしろ!」
中年男性は残された澄香に当たり散らす。
「でも…。」
一人になった途端、弱気になる澄香。そこへ翔子が戻ってきた。
「お待たせ〜。おじさん、よく見なよ。この光線銃は人間を100分の1に小さくできるの。私達をむかつかせた罰として、今からあんたを小さくするからね。」
翔子は中年男性に向けて光線銃を発射した。
 しかし、何も起きなかった。
「翔子ったら、光線銃は私じゃないと撃てないのよ。」
「ええ!?なんで?」
「防御機能よ。もし男を小さくする前に光線銃を奪われて、自分が小さくされたら困るでしょ。そういうことが無いように、事前に登録した人しか撃てないようになっているのよ。」
「じゃあ、今すぐ登録してよ。私もたまには自分で人間を小さくしてみたいな。」
「今はできないわよ。」
二人がかけあいをやっていると、中年男性は怒り出した。
「おまえ達、さっさと風呂から出て行け!水着を脱ぎに戻ったのかと思いきや、おもちゃの水鉄砲なんて持って来おって。水着を脱ぎたくないのなら、プールにでも行け。ここはお風呂だ!」
「あー、うるさいな。そんなにいやなら、そっちが出て行けば?それに、これ、おもちゃじゃなくて本物。今までにこれで何人も小さくして踏み潰したんだから。」
「何をごちゃごちゃ言っているんだ。俺は、個人的にお前らの裸が見たいわけではない。温泉のマナーを教えているんだ。どうしても脱ぐ気が無いなら、力ずくでも脱がすぞ。」
彼は澄香たちを追い出すために脅しをかけた。本当に脱がすつもりは全く無い。そんなことをしたら犯罪になる。言葉の勢いで言ったに過ぎない。
 だが、運悪く澄香はこれを本気ととらえた。
「許せない!」
澄香が光線銃を翔子から取りかえすと、中年男性に向ける。
「女の子を脱がそうとする人に、生きている資格はないわ。」
澄香は光線銃を発射し、彼を100分の1に縮めた。

「ザマみろ、ってとこね。」
翔子がこびとを摘み上げる。
「私達の裸を見よういう不純な動機で混浴風呂に来たのが運の尽きよ。」
澄香も同調した。
「そうそう。素敵な男だったら助けてあげたのに、あんたみたいなエロオヤジに用はないわ。」
翔子は持ち上げたこびとを澄香に見せる。
「そいつは翔子に任せるわ。踏むなり食べるなり、好きにしていいよ。」
「あ、そう。じゃあ、面白い事考えたんだけど。」
何を思ったか、翔子はいきなりこびとを自分の水着の胸の部分に挟んだ。そしてそのまま入浴する。肩まで浸かったのでこびとは水面下に沈められた。
「さーて。何秒もつかしらね。」
翔子は笑いながら胸元のこびとを見つめた。

 彼女達にとってはただの笑い事だが、小さくされたこびとにとっては生死に関わる大問題だ。水面下に沈められた彼は必死に脱出を試みるが、無駄だった。水着はしっかりと翔子の胸にくっついており、彼の力では挟まれた状態から逃げ出すのは不可能だった。
 暴れたために息を吐き出してしまい、彼は早くも呼吸困難に陥った。もがけばもがくほど口から温泉のお湯が入ってくる。『死にたくない。』彼は無我夢中で翔子の胸を叩いた。

「あはは。暴れてる。そろそろ限界かな?」
翔子はお風呂の中で立ちあがった。ようやく彼は水の中から解放され、必死で空気を吸いこんだ。
「面白いよ。澄香もやってみたら。」
翔子が澄香にこびとを渡す。
「ええ。じゃあ、やってみようかな。」
澄香は水着の肩紐にこびとを挟みこむ。
「まだ、殺さないでね。適当なところで呼吸させなよ。」
「わかってるって、翔子。」
澄香はそのまま肩までお湯に浸かる。

 再び彼を水責めが襲った。呼吸困難から脱出しようと必死に暴れるこびと。だがその暴れるさまも、澄香にとっては肩の表面をくすぐる程度にしか感じられなかった。
 たっぷりとお湯を飲まされた時、彼は再び解放された。

「今度はこっちにしてみようか。」
翔子はこびとを水着のボトムの脚の付け根に挟んだ。
「本当は脚じゃなくてここにしたかったんだけど、精液をまきちらされるといやだし。」
翔子は大事な場所を指差しながら言う。
「翔子ったら、男の子がいないからって下品よ。」
澄香が顔を赤らめる。
「平気、平気。そんなの気にしないの。それよりこいつ、どこまでもつかチャレンジして見ようよ。」
翔子はそのままお湯に浸かる。

 彼はお湯の中深くに沈められた。こびとにとってはかなりの水圧がかかり、その圧力に苦しんでいた。だがいくら動いても、水着の脚の付け根からは脱出できない。呼吸を止めているのも限界に来て、酸欠でのため次第に彼の意識は薄れていく。
 薄れゆく意識の中で彼は考えた。なぜ、自分はこんな目に遭うのだろうか?正しい入浴方法を教えただけなのに。最近の若い者は、女性の方が大胆で混浴でも平気で裸になり、男性のほうがこそこそ隠す事が多いというが、本当だろうか?一部に大胆に裸になる人もいるが、逆に『水着禁止』の張り紙を無視して堂々と水着のまま入浴する女性も多い。
 忌まわしい翔子の水着に挟まれながら、彼は意識を失った。


 寒い…。
 彼は寒さで目が覚めた。かなり水を飲んでしまったようで、体が重い。
 死んでしまったのだろうか?彼は不安になり周囲を見渡した。
 良かった。若干視点は違うものの、いつもの温泉街だ。どうやら助かったようだ。今、彼がいるのは災厄をもたらした巨大な女の手の上。気がつくと、彼女達はしっかりと服を着ている。温泉を上がって帰り道のようだ。
「あ、ようやく気がついたみたい。」
こびとが目覚めた事に、翔子が気づいた。
「翔子ったら、やりすぎよ。2分も水の中に沈めていたら、死んじゃうかもしれないのに。」
「あはは。いいじゃないの。どうせ踏み潰すんでしょ。だったら、生きていようと死んでいようと関係ないわけだし。」
「まあね。このままこいつを持ちかえるわけにもいかないね。」
「そう、そう。この辺りでサヨナラしましょ。」
翔子はこびとを雪の上に置いた。

「冷たい!」
彼は悲鳴を上げた。それもそのはず。全裸の状態で冷たい雪の上に置かれたのだ。冷たくないわけがない。
 彼は思った。暖かそうな服を着こんでいる女性二人ではなく、全裸の自分が冷たい雪の上に寝かされているのは間違っているのではないか?悪いのは温泉に水着のまま入った彼女達の方だ。正しいのは自分の方。
 正論でいけば必ず勝てると判断した彼は、大声で叫んだ。
「お前達!こんな事して良いと思ってい…」
だが、彼は最後まで言うことはできなかった。一糸まとわぬ小さな彼の体に、巨大な翔子の厚底ブーツ襲いかかった。翔子のブーツは小さなこびとに覆い被さり、想像もつかないような重量によって彼を雪の中へと沈み込めた。

 しかし、彼は幸運だった。下が柔らかい雪だったため、踏み潰される代わりに雪の中にめり込むだけですんだのだ。彼は巨大なブーツの重圧からようやく解放された。とはいえ、全身がブーツの靴跡のついた雪の中に埋もれて身動きすら取れない。全身に冷たい雪がつきささり、全身凍傷はまぬがれないだろう。
「助けてくれ!」
彼は声を限りに叫んだ。自分が正しいのだから、彼女達に許しを乞うのも変な話だ。だが、実際問題このままでは本当に踏み殺されるか、凍死してしまう。助かるためにはなりふりかまってはいられない。
 しかし、彼女達は非情だった。
「あはは。見てよ、澄香。こいつまだ生きてるよ。」
翔子の笑い声が、彼の心に突き刺さる。
「本当だ。しぶといね。」
澄香は彼を拾い上げると、再び新雪の上に乗せた。
「今度はもっと強く踏んでみようか。」
澄香は勢いをつけてこびとを踏みつけた。

「うぎゃああ!」
彼の叫びが聞こえた。澄香のブーツは、見た目はいつもと同じ黒革のロングブーツ。だがこの日履いていたのは、雪道でも歩けるように底に凸凹のついたものだった。おまけに澄香は勢いよくこびとを踏みつけた。そのため彼に、澄香のブーツの靴底の凸凹が勢い良く襲いかかった。柔らかい雪の上だったので命こそ助かったものの、あまりの激痛に彼は悲鳴を上げたのだった。
 もはや彼の命は絶望的だった。自分を絶望に追いこんだブーツを、彼は呪った。無抵抗で小さな自分に冷たく固いブーツの靴底が襲いかかり、暖かい服を着ている巨大な彼女をブーツの内側の柔らかい部分が守ってくれるのはおかしいのではないか。ブーツは守るべきものを間違っていないか?
 しかし、彼の思いは彼女たちには伝わらなかった。足をどかした澄香が、彼の様子をのぞきこむ。
「ぐったりしているけど、まだ、生きてるね。」
「あたしの時はピンピンしてたのに、澄香が踏むとぐったりするということは、澄香って重いんじゃない?」
「ちょっと、翔子ったら!」
「冗談だってば。怒りはあたしじゃなくて、こいつにぶつけなよ。」
翔子がこびとを指差す。
「もう、すべてこいつが悪いのよ!」
澄香は彼を拾い上げると、雪が解けて露出しているコンクリートの上に置いた。
「これでおしまいよ!」
澄香は全体重をかけてこびとを踏み潰した。
 グシャ!
固いコンクリートの上ではひとたまりもなく、こびとの体は潰れて飛び散った。

「あーあ。踏んじゃった。よく考えたら、こいつ踏み潰されるほど悪いことしたっけ?」
翔子が、澄香の足元を見つめる。
「うっ。そう言われると…。」
澄香が言葉に詰まる。
「澄香が水着を着て温泉に入らなければ、あいつもこんな目に遭わないですんだのにね。」
「でも、脱がそうとしたのよ。正当防衛じゃない。それに、先にあいつを小さくしようと言い出したのは翔子でしょ。」
「でも、小さくしたのは澄香だし。」
「翔子が光線銃持ってきたんでしょ。それに、あれだけ光線銃の秘密をしゃべったら、生かしておくわけにはいかないわよ。もう、行きましょう!」
踏み潰したこびとには全く興味を示さず、澄香は歩き出した。
「待って、澄香!」
翔子が呼びとめる。
「靴の裏にこびとがくっついているよ。」
翔子が指摘した通り、彼の残骸は澄香のブーツの靴底の凸凹の隙間に挟まっていた。
「いやだ、汚い!」
澄香は足をコンクリートの地面にこすりつけて、靴底にへばりついたこびとの残骸を落とそうとした。
 大部分は靴底からはがれ落ち、澄香のブーツによってこすり潰された。だが、何度ぐりぐりと地面にこすりつけても、一部はまだ靴底の凸凹にくっついていた。
「やだ、落ちないよ。」
澄香が、自分のブーツの黒い靴底を見つめる。
「大丈夫だよ。雪の上を歩いているうちにとれちゃうって。」
翔子に言われて、澄香はそのまま歩き出した。

 こびとの残骸は、澄香に何度も踏まれた後、雪と混じりあい靴底から解放された。澄香の歩いた後には点々とかすかな赤い痕跡が残ったが、おりしも降り出した雪にそれさえも消されてしまったのであった。

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