勘違い

作:大木奈子

 『不審者に注意』
 こんな掲示が平成女子大学の掲示板に貼り出されたのはごく最近のことだ。はじめて掲示を見た風祭澄香は、熱心に見入っていた。
 『最近大学構内に変質者が出没しています。不審人物を見かけたら、総務課まで連絡すること。また、校舎裏など人目につかない場所を1人で歩く時は充分注意すること。』

「ふーん。痴漢が出るんだ。いやだなあ。」
澄香がつぶやいた。その時、
「おはよう、澄香!」
声をかけたのは、澄香の友達の前島翔子だった。
「どうしたの、翔子?試験でもないのにこんな朝早くから学校に来ているなんて?」
「それがね、バイト先の友達と、飲み屋とカラオケ屋をはしごしていたら朝になっちゃったのよ。家帰るのも面倒だし、そのまま来ちゃった。」
「なんだか、すごい生活送っているね。」
「何言ってるのよ。若いんだから、もっと遊ばなきゃ。
それよりさ、何なの、その人だかりは?誰かの停学が貼り出されたの?」
「違うって。学校の中に痴漢が出るから気をつけるように、だって。」
「ふーん。あっ!澄香、これはチャンスよ。」
翔子が笑みを浮かべる。
「チャンスって、何が?」
澄香は首をかしげた。
「澄香の持っている光線銃を正義のために使うのよ。すべての女性の敵である変質者をやっつける分には誰からも文句は出ないでしょ。世のため、人のためにやるんだから、みんなから感謝されるわよ。」
「そうかなあ?」
「そうよ!私が警察署長だったら、表彰状あげちゃうよ。さあ、そうと決まれば善は急げ。さっそく痴漢を探しに行きましょう!」
 澄香と翔子は、秘密の光線銃を手に人気のない校舎裏へと向かった。次なる獲物を求めて…。

 その日、真一郎は飲み会明けで、お昼近くまで眠っていた。真一郎も大学生。1人暮しで、アパートはちょうど平成女子大の裏手にあたる。2階の真一郎の部屋からは、高い塀の向こうに女子大の校舎が見える。しかし、毎日見ていると景色の一部になっていまい、さほど気にならなくなるものだ。
「おう、真一郎起きたか?」
寝ぼけた状態の真一郎に、友達が声をかける。彼は、昨夜終電がなくなり、真一郎のアパートに泊めてやったのだ。
「んー。もう、こんな時間か。これじゃあ今日は休むしかないな。」
時計はまもなくお昼を指そうとしていた。
「昼飯はどうしようか?」
眠い目をこすりながら真一郎は布団から出た。すでに友達は起きており、窓から外を眺めている。
「おい、真一郎。ここから見えるあの建物は、女子大なのか?」
「ああ。そうだよ。」
真一郎も窓に向かい、友達と肩を並べる。
「いいなあ。こんなに近くじゃ、ナンパのし放題じゃねえか。うらやましいな。」
「そうでもねえよ。」
真一郎は首を横に振る。
「知ってるか、この女子大の名前?平成女子大とか言うらしいぜ。」
「聞いた事ねえな。」
「だろ、俺も全然知らなかった。何でもうわさによると、誰でも出願さえすれば入れるようなところらしいぜ。」
「そうなのか?」
「ああ。だから、けっこう不良っぽい怖そうな奴らが多いぜ。それにこの前なんか、風俗業と勘違いされそうなイケイケのすごい格好している女見たぜ。」
「なんか女子大のイメージが崩れるな。」
「だろ?」
「でも、イケイケの格好しているってことは、男とやりたいってことだろ。逆にこれはチャンスかもしれねえじゃん。」
友達が期待に胸を膨らませる。
「そうだけど、でも、清楚な感じが全くない女じゃ、ちょっとなあ。」
真一郎は、お嬢様系が好みだった。
「まあ、食わず嫌いは良くないぞ。とりあえず社会勉強だ。女子大に潜入して彼女達の生活実態をつかもう。」
「それはおもしろそうだな。」
「そしてあわよくばナンパして、彼女を作ろう!」
若くて元気な男は、時として異性のことに対しては、一途に突っ走るのもである。
 澄香がこの女子大に通っていることを彼らが知っていたら、あるいはこの無謀な侵入はあきらめたかもしれない。しかしそんな事を知らない彼らは、興味本位でこの計画を実行に移すことにした

「誰も見ていないな。」
真一郎はあたりを見渡す。幸い人通りは全くない。
「よし、今だ!」
二人は塀を乗り越え、あこがれの女子大キャンパスに進入した。

 女、女、女…。
当たり前のことだが、壁の向こうは別世界。真一郎たちがあこがれていた、女子ばかりの世界が広がっている。
 しかし、通学時と違って男の目がない分、彼女達の態度はかなりいい加減だった。加えて、平成女子大はお嬢様系の学校ではないので、真一郎たちのお目当ての女はなかなかいなかった。
 それでも、普段は男が来ることなどめったにない女子大である。真一郎達はたちまち注目の的になった。ただ歩いているだけで女の子達は一斉に彼らを見つめる。たとえどんな女からであろうと、一身に視線を浴びるのは気分が良い。真一郎たちは夢見心地だった。

 しばらく歩いていると、前方から二人の女子学生がこちらに向かってくる。うち一人は例によって茶パツの厚化粧、ケバい女だ。しかし、もう一人は黒髪のナチュラルメークの、一見お嬢様っぽく見える女だ。
「あいつ、なかなかよさそうじゃん。」
友達が真一郎に声をかけた。その時、彼女達も真一郎たちの存在に気づいたようだ。大声を上げて駆け寄ってくる。
「!?」
彼女達の様子に、真一郎は本能的に危険を感じた。
「とりあえず、撤退だ!」
とっさの判断で、真一郎たちは逃げ出した。女子学生がたまっている中庭を突っ切り、人目のつかない校舎の裏手へ回る。あとは、この先の塀を乗り越えれば外の世界だ。
 しかし、彼女達もしつこく追ってくる。
「待ちなさい、この痴漢野郎!」
この言葉が彼らの聞いた最後の言葉になった。次の瞬間、彼らは全身にまぶしい光を浴びて、気を失った。

 目が覚めると、彼らは信じられないような2人の巨大女性に囲まれたいた。通常の人間の100倍はあるだろう。あまりの突拍子もない出来事に、彼らは夢を見ているのではないかと思った。
 だが、これは夢ではなかった。巨大女性の一人が話しかける。ギャル系のケバい女のほうだ。
「捕まえたわよ。痴漢さんたち。」
 彼女は彼らを摘み上げ、手のひらに乗せる。彼らは恐怖のあまりされるがままだ。
「どうしようか、澄香。こいつら痴漢たち。警察に突き出すの?」
澄香と呼ばれた黒髪のロングヘアーの女は首を横に振る。
「だめよ、翔子。そんな事したら、光線銃の秘密がばれちゃう。」
「そっか。」
イケイケギャルの翔子は、残念そうにつぶやく。
「せっかく痴漢を捕まえて警察から表彰状をもらえると思ったけど、仕方ないか。」
「まあ、痴漢には被害者の心を代弁して、私達が罰を与えていいんじゃない。」
澄香が、冷ややかな視線を真一郎たちに投げかけた。

「ところで、澄香。こっちの男、けっこういけてない?」
翔子が真一郎を指差す。
「たしかに、まあまあね。」
澄香も同意する。
「私、こいつとなら、エッチしてもいいかな、なんちゃって。」
翔子はそう言いながら、真一郎だけを手のひらに残し、友達を地面に置いた。
「何言ってるのよ、そいつ、痴漢よ。」
「いいじゃない。私の意志でエッチする分には問題ないでしょ。」
翔子は、何気ない仕草のまま、厚底ブーツをこびとの上に乗せた。
「翔子ったら、すぐ話をそっち方面に持って行くんだから。」
「えー、いけない?あんただって、いい男見たら、このくらい考えるでしょ。」
翔子と澄香は、おしゃべりに夢中になった。

 その間、真一郎は翔子の手のひらで震えていた。気がかりなことは、友達の安否だ。ここからは見えないが、翔子のブーツの下にいるはずである。小さくされた彼は、この巨大な女性の体重に耐えられるのだろうか?
 翔子はごく当たり前の仕草で友達を踏み潰した。人間一人を殺すのは、大変なことだ。彼女達みたいなごく普通の女子大生に、そう簡単にできるとは思えない。これは何かの手品で、彼女が足をどけたらどこかから彼が生還するのではないだろうか。真一郎はそうであることを祈っていた。
 真一郎は、翔子の指の隙間から、はるか下の地面を見ていた。話に夢中になっている彼女達は、無意識のうちに足を動かしている。何回めかに足を動かした時、ようやく友達の姿が確認できた。彼は、血まみれの内臓が飛び出た状態で、かろうじて人の形をとどめた皮膚が地面と一体化していた。よく見ると、潰れた彼の表面には、彼女の靴底の凸凹模様が刻まれていた。すぐに翔子のブーツが、また、彼に覆い被さった。
 真一郎は、変わり果てた彼を見て背筋が寒くなった。彼女達は自分達を踏み潰すことなどなんとも思っていない。一歩間違えれば自分が彼のようになっていたはずである。たまたま自分が翔子に気に入られたから助かっただけなのだ。真一郎は怖くなり、逃げ出したい衝動にかられた。
 しかし、ここははるか上空、翔子の手の上。真一郎にとっては100メートルを超える高さがある。逃げようにもこの大きさではどうしようもない。ここは、彼女達が自分を助けてくれることに期待するしかないだろう。
 真一郎は、あきらめて彼女達の会話に耳を傾けた。

「とにかく、だめよ、翔子。絶対にこいつは助けちゃだめなの。」
強い口調で澄香が言う。彼女はよほど痴漢に恨みを持っているらしい。
「分かったわよ。じゃあ、澄香の好きにしなさい。」
翔子は、あきらめたと言う表情を浮かべて真一郎を澄香に手渡した。真一郎はされるがまに澄香の手のひらに移動した。
 澄香は真一郎を受け取ると、怖い顔でにらみつける。
「痴漢さん、あなたが今までしてきた罰よ。」
澄香は真一郎をつかむ手を離した。それは、彼にとっては死を意味することだった。最期のスカイダイビングを楽しんだ後、彼は地面に叩きつけられた。
 それでもまだ物足りないという様子で、澄香はブーツで彼の残骸を踏みにじった。

「全くもう、うちの大学で痴漢を働こうなんて、十年早いのよ!」
澄香が怒ったように言う。
「あれ?じゃあ澄香、あと9年はこの大学にいるの?」
いつものように翔子が澄香をからかう。
「冗談じゃないわよ。ちゃんと4年で卒業するんだから!」
「じゃあ、十年早いじゃなくて、5年早いでしょう。」
「もう、翔子ったら。午後の授業に行くわよ。」
澄香は一人でずんずん歩き出す。
「ごめん澄香。待ってよ。」
翔子もあわてて後を追う。
 彼女達が去った後、潰れた赤茶けた小さなゴミが2つ、地面にへばりついていただけだった。


 数日後。
「ねえ、澄香。構内に現われた痴漢、捕まったそうよ。」
授業中、横に座った翔子が話しかける。
「え?本当なの?」
「ええ。昨日、露出していたらたまたま通りかかった練習中の柔道部に見つかって、袋叩きにされて警察に突き出されたそうよ。バカな奴ね。」
「ええ、昨日!?」
澄香が驚く。
「昨日捕まったってことは、何日か前あたし達が退治した奴らは?」
「あ、あれ?たぶん人違いよ。よくある勘違いってやつね。」
翔子はそう言って笑う。
「ちょっと待ってよ、翔子。じゃあ、あたし達は何も罪もない人たちを…?」
「そうなるわね。だから私は彼を助けてあげようとしたのに、澄香が…。」
「エッチが目的だったんでしょ!それにあいつらを痴漢と決め付けたのは翔子が先でしょ。」
「静かに。今、授業中よ。とにかくやっちゃったものはしょうがないんじゃないの?それに、何かのサークルの関係で来た人たちなら今頃大騒ぎになっているはずよ。でも、うちの大学に来た男子学生が行方不明になった、なんて話聞いたことないわね。」
「そう言えばそうね。」
「いずれにしろ、彼らもまともな理由でうちの大学に来た人達ではないということね。何かやましいことをしていたんだと思うわ。だからそんな連中どうなろうと知った事じゃないわよ。」
「そうか。じゃあ、気にすることないか。」
二人はすぐに自分達が彼らに対して行なった仕打ちを、すっかり忘れてしまった。

 男が入ることのできない女子大の壁の向こう。ここで二人の男がちょっとした勘違いから悲惨な最期を遂げたことは、誰の記憶にも留められることはなかった。せめて彼らが女子大に入るところを誰かに見られていれば、彼らの最期がわかったかもしれなかったのに。

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