報復

作:大木奈子

「こら、君たち。靴のまま上がったらダメだよ。」
 見ず知らずの教師が絵梨佳達に注意をする。
「何よ、うるさいオッサンね。せっかく良いムードだったのに不愉快よ。ねえ、なんとかしてよ?」
 絵梨佳はとなりの男子生徒に甘えた表情を見せる。


 今回紺野絵梨佳は相原晶子とともに、晶子の部活で知り合った仲の良い友達のいる学校を訪問していた。晶子は運動部なので、大会や練習試合で他校に知り合いができるのだ。
 絵梨佳が晶子について来たのには訳があった。じつは前回の大会の時、晶子の応援に来ていた絵梨佳に、この学校のある男子生徒がひとめぼれしたのだ。異性に対して一途に純粋な想いをぶつけられる年頃である。絵梨佳に対する想いが限界まで膨らんだ彼は、自分の学校の女子生徒を通じて、絵梨佳を連れてくるようにと晶子に伝えてもらったのだ。
 晶子にしてみれば迷惑な話だ。他人の幸せのために自分が利用されるのだから。しかし、小学校の頃から男勝りの晶子にとってこのような経験は珍しい事ではない。晶子はあっさりと承諾し、絵梨佳を彼の学校へと連れてきたのだった。

 晶子は絵梨佳を彼に引き合わせた。彼は絵梨佳より2つ年上の中学3年生。とはいえこの年頃は女の方が成長が早いため、恋愛経験豊富な絵梨佳に対し、彼はほどんど初恋に近い状態だった。
 それでも晶子の仲立ちにより、絵梨佳と彼は、少しずつ会話が続くようになってきた。必死で想いを伝えようとする彼に、少しずつ絵梨佳が気のあるそぶりを見せるようになってきた。だが、絵梨佳が彼に対して示しているのは、あくまでも「そぶり」だけ。彼が絵梨佳のハートを射止めるのには程遠い状態だった。
 決定打に欠ける彼は、自分の一番良いところを絵梨佳に見せることにした。彼はバスケ部なので、格好良くシュートでも決めるところを見せれば、絵梨佳を自分のものにすることができるだろうと計算していた。
 彼は2人を体育館へと招き入れる。バスケ部の彼は、入り口で部活用のシューズに履きかえる。だが、絵梨佳たちは体育館履きを用意していない。土足はまずいから靴を脱ぐべきかと迷いを見せる晶子を横目に、絵梨佳はそのまま体育館の中に入っていく。他人が土足で歩いた場所を裸足で歩くことは抵抗がある。
「あたしも靴のままで良いよね。」
 晶子は一言彼に断わると、絵梨佳に続いて土足で体育館に入った。

 体育館に入って少し歩いたところで、生活指導の先生から冒頭の注意を受けた。この時晶子が通学用の運動靴だったのに対して、絵梨佳はデートに備えて大人っぽくローファーを履いていた。晶子の場合、これが室内用の運動靴です、と言い訳できるが、絵梨佳のローファーに関しては弁解のしようもない。
 窮地に陥った絵梨佳達を救ったのは、彼であった。
「うるせーな!文句あんのかよ!」
 彼は脅しをかけながら先生の胸ぐらをつかむ。3年生の彼は、学校を仕切っている不良グループの一人。自分のわがままを押し通すためなら教師相手に平気で暴力もふるうのだ。
「彼女はな、俺が許可したんだ。彼女を裸足にさせたら、俺たちみんなでてめーをリンチするからな!」
 不良男子に脅されてたじろぐ先生。それを横目に彼は絵梨佳の方を向き直り、優しく声をかける。彼にとっては絵梨佳を守ることによって、自分の格好良いところを見せるチャンスなのだから。
「気にしなくて良いんだよ。俺の彼女になってくれたら今みたいに何を言われても守ってやるから。」
「まあ、ありがとう。優しいのね。素敵よ。」
 絵梨佳はわざとらしいほどに彼にもたれかかる。
「いやあ、それほどでもねえよ。ははは。」
 彼は格好つけて笑う。
 ぶりっ子とキザ男。あまりのしらじらしさに、あきれた晶子は一人ため息をついた。

 晶子は、2人を残して大会で知り合った友達のところへ戻った。表向きは2人に気を使ったことにしたが、本心はわざとらしいまでの2人の恋愛ゲームに付き合いきれなくなったのだ。
 そのため、2人の関係がどうなったのかは知らない。ただ、帰りの待ち合わせ場所に絵梨佳が彼と手をつないで戻ってきたところを見ると、そこそこ良い感じになっているのだろう。晶子は2人の関係について、絵梨佳に問いただしたりはしなかった。

 その日の帰り道、校門を出てすぐに絵梨佳と晶子は、先ほど彼女達を注意した教師を見つけた。どうやらその先生も帰るところらしい。
 その教師も絵梨佳たちを見て先ほどの問題ある生徒達だと気づいた。だが、彼女達に注意して、3年の不良男子達にリンチされてはたまらない。おまけに彼女達は自分の学校の生徒ではない。もう2度と来ないかもしれない他校の生徒に厳しく注意して、問題を大きくすることもないだろう。とりあえ見て見ぬふりをすることにした。
 しかし、絵梨佳たちは見て見ぬふりはしなかった。
「ちょっと、晶子。あの人、さっきのむかつく先生じゃない?」
「あ、本当だ。」
 晶子がうなずく。
「さっきの報復として、ちょっと懲らしちゃおうか。」
「懲らしめてやりたいけど、こんなところで騒ぎ起こしたら、あたし、次から大会に出られなくなっちゃうよ。それに、うちの学校自体が出場停止になって先輩に怒られるのはいやだし。」
 晶子が反対する。
「大丈夫。誰がやったかバレないで懲らしめる方法あるじゃない。」
「まさか、小さくして…。」
「うふふ。」
 絵梨佳は微笑みを浮かべた。問題が表面化しないのならと、晶子はあえて止めることはしなかった。

 絵梨佳は呪文を唱えた。呪文が完成すると、その先生の姿が突然消え去った。厳密に言えば消え去ったのではなく、小さくされただけなのだが。
 絵梨佳はゆっくり近づくと、魔法で小さくした先生を拾い上げた。
「誰かに見つかって、晶子が大会に出場停止になると困るから、人目につかないところでやりましょう。」
 絵梨佳達は、人通りの少ない場所に移動した。

 絵梨佳が先生を足元の地面に置いた。彼の目の前には、巨大な4本の足がそびえ立つ。
「さて、どうしようかな。」
 絵梨佳がいたずらっぽく微笑む。だが彼にしてみれば、これから何をされるのかはおろか、今どんな状態にされているのかさえわからない。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。君達はさっきの…。それよりも、私はどうなってしまったのだ?」
 混乱したまま彼は尋ねる。魔法をかけられ気を失い、気づいたときには、他校の見ず知らずの巨大な女子生徒が2人。不安や恐怖よりも、疑問が先に来るのも無理はない。
「あんた、さっきあたし達に靴脱げって命令したでしょ。むかつくのよ。よその学校のあたし達に命令するなんて。」
 晶子が答える。口調はかなり攻撃的だ。
「待ちたまえ。命令ではない。ただ、履物の区別はしっかりつけようと注意しただけなんだ。君達だって自分の家に帰ったら靴を脱ぐだろう。それと同じで脱がなきゃいけない場所では脱ぐようにと注意するのは当然じゃないか。」
 晶子の剣幕に圧倒されて慌てて弁解する。だが、そのしどろもどろの態度が晶子の怒りに火をつけた。
「なにごちゃごちゃ言ってるのよ。あたしはあんたに言われて不愉快になったの!だから、これからその仕返しをするの!」
 晶子が足を持ち上げて、彼の頭上に振りかざす。
「ひー、助けてくれ!」
 身の危険を察知した彼は、頭を抱えてしゃがみこむ。

「まあ、まあ、晶子。踏み潰すなんていつでもできるわよ。」
 絵梨佳が割って入る。この時彼にとって絵梨佳は救いの女神のように感じられたに違いない。
「それよりセンセ。謝ったら?女の子に『脱げ』なんて言ったら誰だって怒るよ。おまけにセクハラにもなるし。セクハラで訴えれば、先生はクビになっちゃうわよ。」
 絵梨佳がしゃがみこんで優しく声をかける。問答無用の晶子に比べて、絵梨佳の方は話せばわかりそうだ。彼はそのような期待を抱いた。
「わかった。私が悪かった。謝る!すまない!だが、一つ聞いてくれ。私は『脱げ』とは言っていない。土足はいかんから、『靴を脱いでくれ』と言っただけなんだ。体育館の床はデリケートだから、靴のまま入ったら汚れるし、固い靴底の革靴とかでは傷がつく。だから…。」
「センセ、謝ってとは言ったけど、言い逃れしていいとは言ってないよ。」
 先生が誤解を解くために必死で説明するのを、絵梨佳がさえぎる。
「それに欧米では人前で靴を脱がすことは、服を脱がすのと同じくらい失礼なことよ。まして、その相手が女性であれば。わかる?私達が怒っている理由?」
「わかった。悪かった。だが、ここは日本じゃないか。」
「あのね、もし私達が裸足になった時に画鋲でも踏んで怪我をしたら、先生責任とってくれる?体育館の床なんて掃除すれば綺麗になるけど、私の足はこれだけなのよ。怪我をしても替えることはできないの。どっちが大事かわかるよね。」
「わかった。君達の言う事は全て正しい。だから、もう何も言わない。」
 先生は彼女達の言うことに全面的に従う事にした。圧倒的に巨大な彼女達相手に言い争いをするのは危険だ。まず、自分がどのような状況に置かれているのかを認識する必要がある。彼は疑問に思っている事を尋ねた。
「それより質問だが、私はどうなったのだ?君達はやけに大きいようだが。」
「うふふ。先生は私の魔法で小さくされたの。私達に『脱げ』と言って、気分を害した報復よ。」
「魔法?報復…?」
「そう。」
 絵梨佳は彼の目の前に足を踏み降ろした。
「私達の気が済むまで、靴を舐めて綺麗にしてね。」
「え!?」
 彼は言われたことが信じられなかった。目の前にそびえるのは自分の数百倍はあろうかという巨大な少女の靴。しかも、『土足はダメ。』と注意して、報復を受ける発端になった靴。それを舐めて綺麗にするとは、一体…。
 だが、この迷いが彼の置かれた状況をさらに悪くした。目の前にあった絵梨佳の靴が持ち上がると、彼の頭上に覆い被さり止まった。
「『舐めて』って言ったの聞こえなかったの?」
「きっ、聞こえた!だが待ってくれ。舐めるったってこんな大きな靴を。しかも、外を歩いて汚れたものを舐めるなんて。」
「これは報復よ。『無条件、即時』に言う事聞くのが当たり前でしょ。言う事聞かないと踏み潰すよ。」
 頭上を覆う巨大な靴底が迫る。彼は慌ててその靴底を舐めはじめた。彼の舌の届くのは、靴底の凸部。汚れのひどい場所だ。何を踏んだかわからない靴底を、彼は自分の舌を使い必死で綺麗にしていた。
「ちゃんと舐めてる?」
 上から絵梨佳の声が響く。
「はい!」
 彼は大声で返事をすると、そのまま巨大な靴底を舐め続けた。
「綺麗になるまでずっと続けるのよ。」
 絵梨佳の冷たい声が響き渡った。

「中途半端に足を上げているのって疲れるのよね。」
 絵梨佳が晶子に言う。絵梨佳が持ち上げている右足の靴底と地面との間のわすかな隙間に、報復の相手である彼がいる。
「ここまで懲らしめたら、もういいんじゃない?気が済んだでしょ。」
 晶子が言う。
「まあね。でも、『報復』は、『徹底的に根絶やしにする』まで続けるものでしょ。だから、この程度で終わらせたら効果ないよ。もっと続けないとね。」
 そう言いながら絵梨佳は持ち上げている右足をゆっくり降ろしていく。

 一方の、報復対象にされた先生にとっては大変なことが起きていた。初めは立って靴底を舐めていたのが、靴底が下がってきたために中腰で舐めるようになり、今ではしゃがまなくては舐められない。おまけにその靴底はさらに下へと下がってきている。持ち上げようとしても小さな彼に支えられる重さではない。
 ついに彼は仰向けになって靴底を舐める状態にまで追いこまれた。両腕で靴底を支えるのだが、それも無駄なあがきだった。徐々に靴底が迫り、やがて体全体にその重量が感じられるようになった。もはや靴底を舐める余裕すらない。潰されないように必死で重さに耐えるしかなかった。
 だが、それもついに限界に達した。ピシッ、という体中で何かが砕ける音がしたかと思うと、物凄い圧迫感を感じ、意識を失った。

 先生を踏み潰した後、絵梨佳は片足立ちして全体重をかける。
「あーあ。踏んじゃった。これでおわりだね。でも、あたし達に『脱げ』と言って不愉快にさせたことに対する仕返しだから、仕方ないね。」
 晶子が言う。そんな晶子に絵梨佳は微笑みかける。
「うふふ。まだ終わったわけじゃないよ。」
 絵梨佳は足をどかせて彼を解放する。
「報復は徹底的に、ね!」
 絵梨佳が足をどかすと、潰れて靴底の凸凹を刻んでいた彼の体がゆっくりと元の形状に回復してきた。

 命を落としたと思っていた彼は、徐々に意識が回復してくるのを不思議な感覚でとらえていた。
 『助かった!』
 まず喜びか彼の心を支配した。体全体に痛みは残っていたが、生きていられた事に感謝しなくてはならない。だが、その喜びもつかの間だった。再び巨大な絵梨佳の靴底が彼に迫る。
「ねえ、全然綺麗になっていないじゃない。ちゃんと舐めたの?」
 見上げる彼の頭上に絵梨佳の靴底が見える。さっき必死の思いで舐めて綺麗にした場所も、彼を踏み潰した時に地面を踏みしめたために汚れがこびりついている。
「綺麗になるまで『報復』は終わらないんだよ。」
 絵梨佳の残酷な声が響く。彼は思わず反論しようとした。
『俺が気を失っている間に靴底を汚したんじゃないか。』
 と。だが、ここで下手に反論して踏み潰されてはたまらない。『報復』である以上、彼女達の言われたことさえ達成すれば、助けてもらえるのだろうから。
 彼は再び巨大な靴の裏を舐めはじめた。

 だが非情なことに、かなり舐めて綺麗になったところで再び靴底が下降してきた。重さを支えようという彼の必死の抵抗むなしく、巨大少女の重さを受けて彼は再び踏み潰された。

 彼は再び意識を回復した。
「センセ。全然綺麗になっていないよ。靴の裏を舐めて綺麗になったらセンセを助けてあげるんだけどな。」
 再び絵梨佳の声。だが、今回彼は生きていられてことに対する喜びよりも、絶望を感じていた。
 彼女達は自分を助けるつもりはないのではないか。ある程度まで綺麗になったところで自分を踏み潰し、また汚れた靴底を舐めさせる。これでは永遠に終わる事のない無限地獄だ。いつまでこの苦しみを受けつづけなければならないのか、彼は恐怖を感じていた。

 無限地獄に気づいたのは彼だけではなかった。絵梨佳と一緒に彼に『報復』を加えていた晶子も気がついた。
「ねえ、絵梨ちゃん。これじゃあいつまで経っても終わらないよ。」
「だって、晶子。これは『報復』よ。徹底的に苦しめないと。」
 そう言いながら3たび絵梨佳はゆっくりと彼を踏み潰していく。
「それはわかっているけど、こんなことしていたら、あたし達いつまでも帰れないじゃん。遅くなるのイヤだから、いい加減終わらせてよ。」
「んー、そうか。そろそろ帰る時間ね。じゃあ、次で終わりにしようか。」
 絵梨佳は踏み潰した彼から足をどかして、呪文を唱える。
「次に踏んだら終わるよ。最後は晶子がやる?」
 絵梨佳に促されて、晶子は彼の目の前に立った。踏まれた状態から回復した彼は、恐怖とともに晶子を見上げる。
「先生。もう2度と女の子を裸足にさせちゃダメだよ。」
 そう言うと、晶子は勢い良く彼を踏み潰した。
 迫り来る巨大少女のの靴底。信じられないまでの荷重、そして激痛。彼の体は四散し、彼の意識が再び戻ることはなかった。
「あーあ。やっちゃった。」
 絵梨佳が人ごとのように言う。
「仕方ないよ。あたし達に命令した、あの先生が悪いんだから。」
 晶子はそう言うと、靴底に先生の残骸をへばりつかせたまま歩き出した。


 数日後。
「ねえ、絵梨ちゃん、聞いて。絵梨ちゃんにひとめぼれした彼、警察に捕まったらしいよ。」
 晶子が青い顔をして絵梨佳のところに走ってきた。
「ふーん、そうなの。よかった、断わる手間省けて。」
 絵梨佳の冷たい一言。あれだけ彼と良いムードを作っていながら、全然心配していないのだ。晶子が声を小さくして話を続ける。
「捕まった理由知ってる?『報復』したあの生活指導の先生いたでしょ。体育館であたし達に注意した。あの先生にリンチした疑いだって。『リンチするぞ』って脅したあの日を境に先生行方不明になっちゃったから、何か関係しているんじゃないかと。」
「良かったじゃない。先生を行方不明にした『犯人』になってくれる人が見つかって。これで捜査は終わるから安心よ。それに、彼もまだ未成年だから、有罪にはならないわよ。だって、何もやっていないんだから。うふふ。」
 絵梨佳は微笑む。
「それより、今朝もむかつく奴をこびとにしたんだ。昼休みに一緒に楽しく踏み潰そう。」
「うん。」
 晶子はいやな思い出を振り払うかのように、明るい声で言った。
 彼女達に、失踪事件の捜査の手が迫る事は一切なかった。

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