新しい魔法

作:大木奈子

 ある日の朝。一人の男がまた、紺野絵梨佳の魔法で小さくされた。彼が何か悪い事をしたわけでもない。たまたま絵梨佳の後ろを歩いていたら、彼女の気まぐれで小さくされたのだ。彼は拾い上げられると、そのまま絵梨佳の制服のポケットに入れられて、学校へと連れて行かれた。

 その日の休み時間。絵梨佳と、相原晶子、村野彩美の3人は女子トイレで偶然はちあわせた。授業が早く終わって、チャイムが鳴ったばかりなので、他には誰もいない。
「晶子、彩美、私達3人の秘密は誰にも話していないよね。」
 他に誰もいないのを確認してから、絵梨佳が尋ねる。絵梨佳が呪文を使えるという秘密を知っているのは晶子と彩美だけだ。
「大丈夫。しゃべるわけないじゃん。」
 晶子が答える。晶子はもう、小さくされた男を踏み潰すことにだいぶ抵抗がなくなったようだ。
「私も誰にも話していません。」
 彩美も答える。彩美の方はこびとに感情移入してしまうせいか、まだ抵抗がある。
「そう。あのね、今日は新しい呪文を覚えたから、2人に見せてあげるね。」
 絵梨佳は、ポケットから、今朝小さくした体長3.5cmほどのこびとを取り出した。
「そいつ、どうしたの?」
 晶子が訪ねる。最後はどうせ踏み潰すのだが、元がどういう人だったのかは気になる。
「ああ、こいつ?あたしも良く知らない。」
 絵梨佳は興味ないといった感じで、手のひらに乗せた彼を見下ろす。
「今朝風が強かったじゃない。こういう日は、あたしみたいにスカート短いと大変よ。変な男があたしの後ろについて歩いて、スカートがめくれるのを狙っていることがけっこうあるのよ。こいつもその一人。こういう奴は迷惑だから縮めてやったの。スカートの中を覗いた罰よね。」
「わかる、わかる。たまにいるよね。後ろについて歩いてスカートがめくれるのを見ようとしている奴。すごいむかつくよ。」
 晶子が彼に吐き捨てるように言う。絵梨佳ほどでないにしろ、晶子もスカートが短いほうなので、実感がこもっている。
「そんなことより、2人に覚えたての魔法、見せてあげるね。」
 絵梨佳は呪文を唱えはじめた。呪文を唱えながら、絵梨佳は両手で彼の頭と胴体を引っ張る。すると、引っ張られた彼の首は、餅みたいに伸びだした。やがて首の伸びも限界に達したようで、彼の頭と胴体は分断された。
「生きてるの?」
 晶子が尋ねる。ギロチンのように首が切られたのだ。普通の体なら無事であるはずはない。
「大丈夫。生きているよ。この呪文はね、自分の体が踏み潰されるのを見ることができるように、首だけを切り離す呪文なの。だから、もちろん生きているし、体に起きたことは全て脳に伝わるわ。」
 絵梨佳は入り口の方に歩いて行き、彼の胴体を床に置いた。彼が置かれたのは、トイレの入り口の一番踏まれる可能性の高い場所だ。
「ここに置いておけば、誰かに踏まれるでしょ。こいつは、自分の体が踏まれるのをこの目で見ることができるってわけ。あたしの新しい魔法の初めての実験台にされるんだから、幸せよね。」
 絵梨佳はそう言うと、彼の首に向かって微笑んだ。


 その朝、彼はいつものように朝の通勤をしていた。風の強い日だった。向かい風では目を開けるとごみが入りそうなくらいの強風だ。いつもの通勤ルートを歩いていると、前を超ミニの制服のスカートを着た女子生徒が歩いている。
 別に彼は覗こうとしたわけではない。ただ、風でスカートがめくれて見えればラッキーだなというくらいの軽い気持ちだった。自分と同じ方向に彼女が歩いていくので、歩くスピードを調整して彼女の数メートル後について歩き、風のいたずらを待った。
 だが、ほんの軽い気持ちでとったこの行動が、彼の運命を決めた。しばらくすると、不意に彼女が振り向いて立ち止まる。
「ねえ、今あたしのことストーカーしていたでしょ。」
 彼女がにらみつける。はっきり言おう。彼女はかわいい。おそらくまだ中学生くらいだろう。怒った顔もまた愛らしい。
「あたしの後ろについて歩いて、ストーカーしていたでしょ!」
 彼女が一段と大きい声で言う。周囲に誰もいないので、自分のことを言われたのは間違いない。彼は困った。確かに歩く速度を変えて、彼女の後ろについて歩いた。だがこれは、ストーカー目的ではなく、風のいたずらを期待して…と、これは言えない。とにかくそんなつもりはない。
「そんなことはない。」
 彼は否定する。だが、彼女の方が上手だ。
「ごまかしても無駄よ。知っているんだから。あなたがずっとあたしの後をついて歩いてきたことを。目的は痴漢かしら?」
 まずいことになってきた。痴漢する気はなかったのだ。風のいたずらを…。じゃなくて、これは偶然だとシラを切るしかない。
「ちがう。俺が歩いていたら、たまたま君が前にいただけじゃないか。」
「ふーん。ごまかすの?わかった、いいわよ。ストーカーと、嘘をついた罰よ。」
 彼女は何やら呪文を唱えはじめた。
「?」
 まさかこんなかわいい子が、自分に危害を加えるはずがない。その油断が命取りとなった。呪文が完成し、彼は意識を失った。

 意識が回復した時、彼の目に飛びこんできた景色は一変していた。自分の置かれた状況を理解しようと必死になっていると、突然巨大な指で彼はつまみ上げられた。
「うふふ。どう?50分の一に縮められた気持ちは?」
 声をかけたのは先ほどの少女。だが、その大きさは桁外れに大きい。
「うわあ!なんでそんなに大きいんだ?」
 彼は思わず叫んだ。
「あたしが大きいんじゃなくて、あんたが小さいの。わかる?ストーカーしたお仕置きよ。」
 彼女はそう言うと、彼を制服のポケットに放りこむと、何事もなかったかのように歩きだしだ。

 ポケットの中で彼は考えた。小さくなったとはどういう事なのか?何故、どんな手段で小さくなったのか?これから何をされるのか?だが、考えても彼にわかるものではなかった。

 やがて、彼はポケットからつまみ出された。それまでに何度か脱出を試みたが、ことごとく失敗し、結局彼はポケットの中でおとなしくしていたのだ。
 周囲を見ると、どうやら学校の女子トイレの中みたいだ。周りには、今朝彼を小さくした少女のほかに2人の女子生徒がいる。彼女達は言いたい放題、彼の悪口を言っていた。
 やがて、再び彼女は呪文を唱えはじめた。今度の呪文は首のあたりがしびれて熱くなる感じだ。呪文が終わると、彼女は巨大な両手の指で彼の頭と体を引き離しにかかった。すると不思議なことに首が伸び、やがて分断された。不思議と痛みは感じない。首のあたりのもやもや感はあるが、頭と体を触られている感覚はある。
 彼女はドアの方に歩くと、胴体だけを入り口の床に置いた。床の冷たい感触が背筋をゾクッとさせる。どうやら彼女は彼の胴体が踏み潰されるのを、切り離された彼の頭に見せるつもりのようだ。彼は言い知れぬ恐怖を感じた。床の冷たい感触でさえこれだけリアルに感じるのだ。踏まれたときの重量はどのように感じるのだろうかと。

 彼にとって恐怖の時間が流れた。誰も来ないでくれ。彼はそう祈りながら、切り離された自分の胴体を見つめていた。
「でも、絵梨ちゃん。何で女子便所なの?適当に廊下にでも置いて、うちらで踏んじゃえばいいじゃん。」
 彼女の取り巻きのうち、一人の少女がぽつりと言う。
「甘いわよ、晶子。」
 絵梨佳と呼ばれた、魔法で彼を小さくした少女が答える。
「あたしみたいな人気者が廊下で何かやっていたら、男子が寄ってきて困るのよ。それにこいつスカートの中を覗こうとしていたんだから、トイレの床に置いておけば女子みんなのを好きなだけ見られるからうれしいんじゃない?」
「でも、首は手元にありますから、見ることはできないんじゃないですか?」
「彩美、うるさいよ!」
 絵梨佳に言われ、口を挟んだ彩美はおとなしくなる。
 彼が恐怖に震えて生きた心地しないのに、その原因を作った少女達はのどかな会話を続けている。その事が彼をより一層惨めにさせた。
 やがてトイレのドアが開いた。入ってきたのは2人組。絵梨佳たちのとなりのクラスの子だ。一人はややぽっちゃり系の体重がありそうな子で、もう一人はやせ型で背も高く男子よりは女子にモテそうな感じだ。いきなりそのぽっちゃり系の少女の上履きが、床に置かれた3.5cmほどの彼の胴体を直撃した。
「うぎゃあああ!」
 彼の頭部に激痛が伝わり、彼は叫び声をあげたつもりだった。が、なぜかそれは声にはならなかった。
 踏みつけた少女は、彼に気づくことなくそのまま個室に入っていく。すぐにやせ型の少女も続いたが、彼女の方はうまく彼の胴体をまたいで行った。

「今、何か叫んだみたいだけど、聞こえないの?」
 晶子が尋ねる。
「そうみたいね。」
 と絵梨佳。
「たぶん、首が切れているから、声帯も途中で切れて声にならないんだと思います。」
 彩美が付け足す。
「まあ、どうだっていいじゃない。あたしとしては騒がれない方がいいし。」
「まあね。」
 絵梨佳の意見に晶子はうなずいた。
「それより、こいつ、自分の体が潰れたのを見てどう思っているのかな?」
 絵梨佳は苦しみもだえる彼の頭部を、踏み潰された胴体の方へと向ける。胴体には粘土のように、上履きの足跡がきれいなまでにはっきりと残っている。踏まれた跡が回復しないという事は、ずっと踏まれつづけているのと同じ事。胴体と頭部が離れていても、胴体が感じた痛みは頭部に伝わるので、彼は潰れた体の痛みに苦しみつづけていた。

 またドアが開き、別の少女達が入ってきた。そのうちの一人の上履きが、床に置いてある彼の胴体を踏みつけて行った。やはり彼女も踏みつけた事にさえ気づいていない。胴体についた足跡が2つに増えたため、彼の感じる痛みも倍増した。
 次第に人の出入りが激しくなり、彼の胴体は少女達の上履きにより次々に踏まれつづけた。目の前で踏まれていく自分の体。しかも、それを防ぐことができないので、こんな残酷な光景はない。彼の胴体は何人もの上履きに踏まれているうちに、床に落ちたガムのように、黒く汚れた潰れた塊となった。それとともに、彼の痛みは激しさを増した。

 やがて、人の出入りが減ってきた。
「もうすぐ授業はじまるよ。」
 最後の人が出て行き、3人だけになったところで晶子が言う。
「じゃあ、そろそろ行こうか。」
 絵梨佳が彼の首を持ったまま、出て行こうとする。
「潰された体はどうするんですか?」
 彩美が尋ねる。
「そんなの無視。もう誰も人間の体とは思わないよ。どうしてもって言うのなら、晶子、蹴っ飛ばして便器の中にでも入れちゃって。」
 絵梨佳に言われて晶子が、床に貼りついた彼の体を上履きのつま先で蹴りはがす。しかし、ガム状になっていた彼の胴体は運悪く晶子の上履きの靴底についてしまった。
「やだ、汚いなあ。」
 晶子が足を床にこすりつけてはがそうとする。絵梨佳の手の中で苦しみもがいている彼の存在など無視して、容赦なく靴底を床にこすりつける。だが、ここで無情のチャイムが鳴った。
「授業始まっちゃうよ。次の休み時間にしなよ。」
 絵梨佳は彼の頭部をポケットにしまうと、駆け出した。晶子と彩美もそれに続く。晶子の上履きが床を踏みつけるたびに彼の頭部に激痛が走る。これだけ苦しい思いをしても、まだ、死ぬ事すら出来ない。まさに拷問といえよう。

 晶子が着席すると、彼の激痛は一段落した。とはいえ、楽になったわけではない。上履きの靴底についた胴体からは、容赦なく痛みが伝送されてくる。彼は絵梨佳のポケットの中で誰に知られることなく苦しみ続けた。

 長い授業が終わり、次の休み時間がやってきた。晶子が立ちあがると、彼の頭部に新しい激痛が加わった。ポケットの中で必死で助けを求めるが、当の絵梨佳は全く気づいていない。
 やがて彼はポケットから再びつまみ出された。今回は激痛に苦しんでいたので、指でつかまれた感触さえ感じなかった。周囲を見渡すと、さっきの3人が和式便所のある個室に入っていた。
 晶子が床に足をこすりつけ、彼の胴体を上履きの靴底から蹴りはがした。相変わらずの激痛だが、踏まれたり蹴られたりしている時よりはましだ。
 潰れて真っ黒になった彼の胴体を、晶子は便器の中に蹴り落とす。
「せめて最後くらいは一緒がいいよね。」
 絵梨佳はそう言うと彼の頭部を、同じ便器の潰れた胴体のある部分に落とした。
「魔法、大成功だったわ。」
 絵梨佳はそう言うと、便器に水を流した。

 ものすごい水流が彼を襲う。水に飲まれ、彼の意識は次第に遠ざかって行った。薄くなる意識の中、彼は思った。
 なぜ、自分がこのような目に遭わなければならないのか。後をついて歩いてミニスカートから見える太ももを眺めただけで、このような目に遭わなくてはならないのだろうか?
 踏まれて苦しんでいる自分がいる一方で、踏んだ事さえ気づかない少女達が大勢いる。同じ人間として生まれたのに、なぜこんな不公平があるのか?
 そんな事を考えているうちに、彼は呼吸ができなくなり生き地獄から開放されたのだった。

「晶子、彩美。今度またあの魔法で男を小さくして遊ぼうね。」
 絵梨佳はそう言うと、女子便所を後にした。

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