ある男のとばっちり

作:大木奈子

「この服、欲しいなあ。でも、お金がないし。」
 紺野絵梨佳がウインドウショッピングをしながらつぶやいた。彼女はまだ中学生。バイトをしてお金を稼ぐことはできない。
「またあの方法で、お金稼ごう!」
 彼女はかわいい笑顔を浮かべると、駅前へと向かった。

 援助交際ではない。ブルセラショップにものを売るわけでもない。もちろん、盗みは絶対にしない。彼女は自分の持つ特殊な能力を利用して、たまにこのような手段でお金を稼いでいる。


 ある若い男が駅への道を歩いていた。途中に近道の歩道橋がある。ここは便利なので多くの人が利用する。歩道橋に差しかかろうとした時、横から女子高生か中学生くらいの制服を着た少女が突然彼の前に現われ、歩道橋の階段を上がって行く。
 彼女の制服のスカートは超短い。超ミニのスカートで階段を上るとどうなるかはわかるだろう。特に後に続いて階段を登るのは、性欲盛んな若い男性。興味がない訳はない。
『あれだけ短いのをはいているんだ。ちょっとくらい見ても平気だろう。』
 彼は勝手にこう判断し、上目遣いに覗いてしまった。彼女が紺野絵梨佳で、これが罠だという事は想像すらしなかった。
 彼女が歩くたびにスカートがひらひら動き、見えそうになる。だが、太ももは見えるが、大事なところはなかなか見えない。見えそうで見えないのは、ストレスがたまる。チラリと見ただけでやめておけば良かったが、ついついその盛んな性欲から彼女のスカートを凝視してしまった。
 すると、運が悪い事に、彼女が振り向いた。まだ小学生と言ってもいいような幼い顔つきだが、なかなかの美少女だった。歩道橋を上がりきったところで立ち止まり、彼をにらみつける。
「あなた、痴漢してたでしょ。」
 彼が階段を上がりきったところで彼女が言う。
「えっ!?」
 突然のことに彼は面食らう。満員電車の中でもないのに、痴漢できるはずはない。誰か他の人と勘違いしたのだろうと、彼は彼女を無視して歩き去ろうとした。しかし、彼女はやや大きめの声で言う。
「無視しないでよ。あんたのことよ!スカートの中を覗くだけで立派な痴漢なんだからね!」
 彼は足を止めた。確かにそういう理由ならば痴漢行為をした事になってしまう。しかし、この程度で痴漢扱いされてはたまったものではない。世の中にミニスカートがある限り痴漢だらけになってしまう。
「ちょっと待て。そんな短いスカートをはいている方が悪いんだろ。それに、俺はお前の下着を見たわけではないぞ。」
 彼は自分の意見を主張した。こう言うのは適当にあしらって逃げるに限る。間違ってもまじめに相手してはいけない。
「これは痴漢じゃない。じゃあな。」
 彼はそのまま立ち去ろうとした。しかし、彼女の方が上手だった。
「逃げる気?痴漢しておいて。」
 それでも彼は無視して歩きつづける。逃げ切れればこちらの勝ちである。ただし、走ってはいけない。かえって目立つし、やましいことから逃げているように見られるから。

 だが、ここで予想外のことが起こった。
「きゃあああ!!痴漢よ!誰か、あの人捕まえて!!」
 いきなり彼女が大声で叫ぶ。何事かと思って一斉に振り向く通行人たち。その視線は冷たい。走って逃げても良いのだが、この先に交番がある。捕まるとかえって面倒なことになる。
「わかった。ごめん。悪かった。」
 彼は大慌てで引き返し、彼女に謝る。
「謝るよ。もう二度としない。ほんの出来心だったんだ。それに、パンツは見ていない。」
「下着が見えたかどうかは関係ない。見ようとしたんでしょ。泥棒に入ったけど物を盗めなかったら泥棒じゃないと言っているようなもんよ。」
「わかった。俺が悪かった。これからはミニスカートをエッチな目で見たりはしない。だから、この場を収めてくれ。」
「いいわよ。でも、痴漢しておいてただで済まそうなんて思っていないでしょうね。本来なら、警察に行くべきところなのよ。」
「何でもする。だから、頼むから警察には…。」
「じゃあ、五万円。」
 彼女は右手を差し出す。口止め料として五万円を請求しているのだ。しかし、中学生くらいの子ども相手に五万円は高すぎるのではないか?
「あのう、五千円ならいいけど、五万円は高すぎないかい?」
 おずおずと彼は言った。ちなみに今彼の手持ち金は一万円ほどしかない。
「高くはないと思うけど。警察に行って、裁判で有罪判決を受けて罰金を払うより、今払っておけば誰にも痴漢したことばれずに済むんだよ。それを考えると安いと思わない?」
 安いと言われても、払えないものは仕方ない。それにスカートの中を見たとはいえ、ミニスカートからのぞく太ももを見た程度。裁判で争っても有罪になる可能性は低い。だったら、無理にふっかけられたお金を払う必要はないのではないか。
 こう考えた彼は、払うのをやめた。
「高いかどうかは警察に行って話をつけよう。俺は『見た』んじゃなくて、『見えた』んだ。短いスカートをはいていたお前にも責任がある。そう考えると百パーセント俺が悪いとは言えないんじゃないか?」
「警察?あんた、痴漢で一生を棒に振る気?」
「棒に振る気はない。ただ、裁判に賭けてみる。だから、今はお金を払う気はない。」
「ふーん。意外と物分り悪いのね。痴漢の裁判で男が勝てるわけないのに。いいわ。行きましょ。でも、その前にちょと来て。」
 彼女は歩道橋を下りて、人目につかない小道に入る。
「おい、どこへ連れて行く気だ?」
「あの世よ。」
 彼女はとびきりの笑顔を見せ、呪文を唱えはじめる。
「え?」
 彼が身の危険を感じたとき、すでに彼女の呪文は完成し、彼は気を失った。

 意識が回復した時、彼はこびとにされていた。目の前には数百倍の大きさの彼女が立っている。
「残念だったね。五万円ケチったためにこんな目に遭うなんてね。」
 彼女は巨大な靴を持ち上げると、彼に向かって振り下ろす。
「うぎゃああああ!」
 彼はあっさりと踏み潰された。

「まだ、死ぬのは早いよ。」
 彼女の声で彼は意識が回復した。彼の目の前には巨大なコンクリートの地面が迫り、背中には黒い壁が押し付けられている。彼は背中の壁にくっついてぶら下がっている状態だった。
「うふふ、びっくりした?あたしは優しいから、まだ殺したりはしないよ。そのかわり、靴底の一部として使ってあげるね。」
 彼はようやく自分の置かれた状況を認識した。彼がくっついていた背中の壁というのは、彼女の靴の裏だった。よりによって彼は、彼女の靴底に貼りついてしまったのだ。
 突然地面が彼に襲いかかる。彼女が足を踏み下ろしたのだ。
「ぎゃあああ…!」
 信じられないような激痛が彼に襲いかかる。体がゴム状に変化しているので踏み潰されても死ぬことはないが、痛みは感じる。
「うふふ。痴漢の口止め料として、お金払う気になったら言ってね。助けてあげるから。」
 彼女は歩きながら彼に言う。しかし、彼は『お金を払う』という意志表示ができなかった。彼女が足を踏みしめている時は、その荷重によって彼は意識を失っている。歩くために足を持ち上げた時に一瞬意識が回復するが、意志表示をする前にすぐに地面と靴底の間で潰されてしまう。『お金を払うから助けてくれ!』彼は必死で祈ったが、その想いは彼女には届かなかった。
 彼女が歩きつづける限り、彼はその小さい体で彼女の全体重を受けて苦しみ続けなければならなかった。

 靴底に貼りつけた若い男の事など無視して、紺野絵梨佳は次の獲物を探していた。次にターゲットに選んだのは中年男性。それなりにお金を持っていそうだ。
 絵梨佳はわき道から中年男性の前に飛び出し、歩道橋を跳ねるように上る。跳ねるたびに短い制服のスカートがひらひら動き、後ろを歩く男心をくすぐる。おそらくこの中年男性も絵梨佳ミニスカートのとりこになっただろう。
 階段を上りきったところで振り返り、後ろをにらみつける。上目遣いだった中年男性は、あわてて目をそらす。彼もまた見ようとしていたようだ。
「おじさん、痴漢していたでしょ。」
 スカートの中を見ようとしていた負い目があるため、こう言われると男性側はかなり慌てる。
「痴漢は立派な犯罪よ。警察に行きましょ。」
 男に反論の隙を与えず、絵梨佳はまくし立てる。一旦痴漢呼ばわりされると、周囲の目はとことん冷たい。走って逃げるなどすれば、かえって自分の立場を悪化させてしまう。男の取る手段としては、エリカの言う事を聞きつつ、自分は無罪だと主張するしかない。
「待ってくれ、私は何もしていない。それに、急ぐので警察には行っている暇はない。」
「じゃあ、口止め料五万円。」
 絵梨佳が男の前に手を出す。彼は迷った。ここで五万円を渡せば警察沙汰にならずに、痴漢の冤罪を着せられることはなくなるだろう。しかし、五万円を払うと自分が痴漢したと認めてしまうことになる。もし、彼女の気が変わって『やっぱり警察で話をつける。』と言い出したら、お金を払うのはかえって不利な状況証拠を作り出すことになる。ここで彼女の言う事を聞いてお金を払うのは危険な賭けだ。
「大丈夫。お金を払ったら、痴漢した事を秘密にしておいてあげるから。」
 彼の不安な心理を読みとったのか、絵梨佳が言う。この一言で彼は、痴漢をしていないにもかかわらず、冤罪を避けるためにお金を払うことにした。
 絵梨佳の靴底で若い男が苦しんでいることなど、中年男性は想像だにしなかった。

「では、これで。」
 お金を払うと、中年男性は逃げるように立ち去ろうとする。
「ちょっと待って。」
 絵梨佳は強引に彼を引き止め、人目につかない場所に誘いこむ。
「私がこの方法で痴漢からお金をもらっていることがわかると、困るのよ。私は正しいことをしているんだけど、心無い人達が『この程度のことで五万円取られた。』なんて人の悪口言うのよ。ひどいと思わない?自分が痴漢したことを棚に上げて。」
 絵梨佳は言葉を切ると、いきなり呪文を唱えて中年男性を小さくした。

「でも、あなたはお金払ってくれたから、踏み潰したりはしないよ。」
 絵梨佳は右足を持ち上げ、靴底に貼り付いて潰れている若い男を中年男性に見せた。
「こいつはね、お金を払うのを拒否したから、靴底の一部として使ってあげてるの。こびとを靴底として使うと気持ちいいよ、適度に弾力があって足に負担がかからなくなるし。」
 靴底で潰れていた若い男が、中年男性の目の前で元の三次元形状に戻っていく。元に戻ると、若い男は激痛で苦しみだした。今まで何十回、何百回と巨大な彼女の体重を一身に受けてきた痛みが一度に襲いかかったのだ。
「助けてくれ!いっそのこと死なせてくれ!」
 彼の悲痛な叫びが聞こえた。普通なら一回で死んでしまうような苦しみを、彼は何回も味わっていた。
「こいつは無条件で靴底行きになったけど、あなたはどうする?好きなように殺してあげる。あたしってやさしいな!」
 中年男性は青くなった。目の前の靴底で若い男が死ぬ以上の苦しみを味わっているのを見ると、彼女が『殺す』と言うのは嘘ではないだろう。
「ま、待ってくれ!痴漢は悪かった。だからお金は払ったではないか。なのになぜ…?」
 彼は彼女に懇願した。このまま殺されてはたまらない。
「言ったじゃない。口止めだって。男は信用できないから、お金払ったくらいじゃだめなの。あなたの命をもらうのは、あたしのため。希望の死に方がないのなら、こちらで決めるね。」
 絵梨佳は若い男が貼り付いた方の足を踏み降ろした。
「ぎゃあああ!」
 若い男の悲鳴が中年男性の耳に響く。さらに絵梨佳は彼の貼り付いた方の靴底をぐりぐりと地面にこすりつける。気を失っているので悲鳴を発することはできないが、とてつもない苦しみを味わっていることだろう。中年男性は目の前の巨大な靴を見て背筋が寒くなった。
「良い方法考えてあげたよ。」
 絵梨佳は中年男性を持ち上げると歩き出した。手のひらで彼は自分の将来への不安とともに、靴底の若者の苦しみも気にしていた。

「はい。ここでお別れよ。あなたの好きな女子高生が来るわ。運が良ければパンツが見えるかもね。」
 絵梨佳は中年男性を道端に置くと去って行った。彼は去りゆく絵梨佳の姿を眺めていた。すると、背後から女子高生の集団が彼に襲いかかった。巨大なローファーが次々に彼の周りに振り下ろされる。踏まれてはたまらんと逃げ回る彼に、女子高生のスカートの中など覗いている余裕などなかった。
 そして、ついに運命の時がきた。巨大な黒い靴底の凸凹が彼の上に覆い被さる。
  グチャッ!
 体がゴム状に変化していなかった彼は、巨大な彼女の体重を支えられるわけなく、あっさりと踏み潰された。
 一方彼を踏んだ女子高生は、一人の男をその足で踏み殺したことに気づくことなく、そのままおしゃべりをしながら歩き去った。その後も集団の何人かに彼の残骸は踏み散らされたが、誰一人として彼のことに気づく者はいなかった。

「ミニスカートの女子高生に踏み潰されるなんて幸せな死に方ね。」
 その様子を遠くから眺めていた絵梨佳は、笑みを浮かべたままつぶやいた。

「さて、問題はこいつね。」
 絵梨佳は靴底の若い男の処分を考えていた。もうすでにこの段階で彼が、「お金を払うから助けてくれ。」と言っても助けるつもりは全くなかった。
「こんなケチな奴、苦しんで死ぬのがいいんだわ。」
 絵梨佳は呪文を唱えた。すると、靴底に貼りついていた彼の体がはがれ落ちた。ようやく彼は靴底の地獄から解放された。だが、ほっとしたのもつかの間、
「さようなら、わからずやさん!」
 絵梨佳は彼を蹴っ飛ばして、マンホールの穴から下水に落とした。

 ドボン!
 彼は異臭のする汚水の中へと放りこまれた。さんざん踏まれて体力を消耗しきっていた彼には、泳いで岸にたどり着くだけの余力はなかった。
「助けてくれ!」
 彼は必死で助けを求める。だがその声は、暗く冷たい下水の中にむなしく響くだけだった。
 悪臭漂う汚水はもがき苦しむ彼の体力を奪った。そして彼は汚水ををたっぷりと飲まされて力尽き、窒息死した。
 悲惨な最期を遂げた哀れな彼だったが、その死骸さえも下水に棲んでいるドブネズミの餌となり、彼の痕跡は完全に消滅してしまった。


 彼がどんな悲惨な末路をたどったかは、紺野絵梨佳にとってはどうでも良いことだった。男の死骸が発見されて自分に疑いがかかることさえなければ良いのだ。
 二人の男性が命を落とした事件も、彼女にとっては日常の良くある小遣い稼ぎの一つに過ぎない。自分があの世に送った男たちのことなど、彼女は全く気にとめていなかった。
「さあ、お気に入りのお洋服でも買おうかな。」
 中年男性からもらったお金を手に、足どり軽く絵梨佳はショッピング街へと歩いていった。

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