俺は私立探偵。今、とある事件を捜査している。事件自体はたいしたものではない。新聞の地方版にさえも載らなかったので、知っている人はまずいないだろう。若い独身男性が2人立て続けに行方不明になっている事件である。 2人の交友関係を調べた結果、犯罪に巻きこまれたり、誰かに拉致されたという可能性は極めて低い。どちらかと言うと、彼らが問題を起こして人前に出られなくなったか、無謀な冒険をして命を落としたかのどちらかだろうと考えられた。 だが意外なところから俺は、この事件は裏にとんでもないものが潜んでいるのではないかと思うようになった。 鍵を握る人物は、紺野絵梨佳という中学生の女の子。どうやって捜査線上に上ったのかは聞かないで欲しい。これは俺が探偵業をやっていく上での企業秘密だ。特に、今回は警察も気がついていないようなので、やつらを出し抜くチャンスだ。だから、彼女の事は誰にも伝えていないし、一切記録として残してもいない。彼女の写真も肌身離さず持っていて、探偵事務所に彼女に関するものは一切置いていない。警察よりも先に事件の真相を暴いて一躍有名になる、という目的のために今回俺は慎重だった。 その日、俺は早朝に家を出た。人目につかないように、彼女の通う学校へと向かう。俺が彼女をマークしている事は、まだ秘密にしておきたかった。 学校から今度は彼女の自宅へと向かう。俺の調査によると、最初に行方不明になった男は、登校途中の彼女に会っているはずだ。そして彼は行方をくらませた。彼女は怪しい人物ではあるが、ただ、そのまま何事もなかったかのように登校している。彼女が犯人というのは考えにくいが、事件の核心を知っている可能性が高い。 俺は彼女の通う通学路の途中で身を隠して、彼女が登校してくるのを待った。 長い待ち時間が過ぎた。彼女の通う学校の制服を着た子は何人か見かけたが、なかなか彼女は現れない。 「別のルートで登校したかな?」 俺がそう思った時、ついに彼女が現われた。もう1度手持ちの写真と比較する。間違いない。正真正銘、本物だ。写真以上に実際の彼女はかわいい。 俺は道に出て彼女の方へと歩いていく。幸いなことに、彼女のほかに通行人はいない。 「紺野絵梨佳さんですね。」 俺は思いきって声をかけた。 「はい。」 彼女は、明るくはきはきと返事をした。 「実は、若い独身男性が連続失踪した事件について聞きたいんだ。」 ずばり核心から入る。それと同時に、彼女の反応を観察するのを怠らない。 「ふーん。その事ね。あなた、警察じゃないようだけど、どこまで知っているの?」 予想外の返答に、俺は戸惑った。最近の中学生は大人だ、あなどれない!だが、俺も探偵のはしくれ。話術はお手のものだ。 「私は探偵だ。だが、警察とは一切つながりはない。だから、安心して知っている事をすべて話して欲しい。」 「いいわよ。」 あっさりと彼女は言う。このあたりの素直さは、まだまだ子供だ。 「でも、立ち話もなんだから、どこかに寄らない?」 「じゃあ、そうしようか。」 俺たちは目立たないように、近くの公園へ移動した。 場所を近くの公園に移して、彼女に二人の失踪した男の写真を見せる。この公園は木が茂っていて外からは見えにくいので、邪魔が入る可能性は少ない。 「おじさん、なかなか良い勘しているね。私のことに気がついたのは、おじさん一人?」 ひとなつっこい笑顔を浮かべながら彼女が尋ねる。『おじさん』はないだろと思いつつも、より良い情報を引き出すために彼女の好きなように呼ばせることにした。 「君のことに気づいたのは、私一人だ。誰にも言わないから安心して話してごらん。この二人の男について、何か知っているんだろう?」 「ええ。」 彼女がうなずく。 「二人ともあたしが小さくしたわよ。でね、一人は犬に食べられて、もう一人は交通事故で死んじゃったの。」 「はあ?」 わけのわからぬ彼女の言葉に俺は耳を疑った。 「あのね、お嬢ちゃん。大人をからかってはいけないよ。」 「だって、本当だよ。」 彼女はふくれてみせる。 俺は考えた。大の男が失踪したのだ。拉致された目撃情報はおろか、遺体や遺留品さえも見つかっていない。不可思議な出来事だが、男が小さくされたとなれば、これらの謎はすべて解決する。 だが…。人間が小さくなるなんてことありうるのだろうか? 「証拠を見せてあげるね。」 考え事をしていた俺に、彼女が言った。彼女を見ると、何やら怪しげな呪文のようなものを唱え始めた。 この時、俺は本能的に身の危険を感じた。だが、時すでに遅し。逃げる前に彼女の呪文が完成し、それと同時に俺は気を失った。 気づいた時には、俺は本当に小さくされていた。彼女の言った事は正しかったのだ。つまりは、俺の推理も間違っていなかったことになる。 小さくなった俺は、意外に冷静だった。心のどこかでこの事を予知していたのかもしれない。俺は自分の身を守るため、極力彼女を刺激しないようにした。 「ありがとう。わかったよ、お嬢ちゃん。元の大きさに戻してくれないかな?」 俺の言葉に反応して、彼女は俺を摘み上げて顔の目の前に持ってきた。 「おじさん、私のこと、ストーカーしていたでしょ。」 唐突に彼女は意外な事を言い出す。 ちょっと待て!俺はストーカーじゃなくて、捜査のためにお前の周りを嗅ぎまわっていただけだ。これは誤解だ! だが、彼女は俺の気持ちなど全くわかっていない。 「元に戻すと、またストーカーするでしょ。だから、戻さない。」 彼女は巨大な顔を近づけ、微笑む。 「でもね、そんなに私に付きまといたいのなら、一緒に一日過ごそうよ。学校に連れて行ってあげるね。女子中学生と一緒に授業受けられるなんて、普通じゃできない経験だよ。」 そう言うと、彼女は俺を制服のポケットに入れて歩き出した。 彼女のポケットの中で俺は途方に暮れていた。ポケットの中は薄暗い。分厚い制服の生地を通してかすかな光が透けて見えるだけだ。俺の周囲には小さなゴミのかすと、ほこりのかたまりがあるだけだ。 ポケットから脱出しようと試みたが、小さすぎる俺は全くの無力だった。 俺が無駄なあがきをしている間に、彼女は学校に着いたようだ。 「絵梨佳ちゃん、おはよう!」 同級生と思われる女子生徒の声が聞こえる。彼女は人気者のようで、次々にいろいろな人から声をかけられる。だが、誰一人としてポケットの中に閉じ込められた俺の事に気づいてくれる人はいなかった。 俺は不安になってきた。この先どうなるのだろうか?まさか、殺されたりはしないだろうな。こんな事なら、万が一に備えて事務所に彼女の情報を残して置くべきだった。狭いポケットの中で俺はだんだん悲観的になってきた。 先生の声が聞こえてくる。英語の授業のようだ。聞こえてくる内容からすると、中学1年生のようだ。気がつけばもう4時間目。お昼も近い。 ポケットに放りこんだ後、彼女は俺に何もしてこない。やはり、丸一日この中で過ごせということだろうか? なすすべもなくおとなしくしているところへ、非常ベルが鳴り響いた。何事か?そう思った時、校内放送が聞こえてきた。 『訓練火災が発生しました。生徒のみなさんは指示にしたがって校庭へ避難してください。繰り返します。訓練火災が発生しました…』 ガラガラ…。 一斉に椅子が動く音がして、彼女は俺をポケットに入れたまま歩き出す。ポケットの外の様子を見る事は出来ないが、集団で校庭に向かっているようだ。 そう言えば、避難訓練なんてもう、十年以上やっていない。俺は、彼女のポケットの中で懐かしき学生時代の避難訓練を思い起こしていた。 思い出に浸っていたところに、巨大な指が降りてきた。彼女の指だ。俺はポケットの外につまみ出された。いつの間にやら訓練が終わったようで、教室に戻る途中らしく、彼女は昇降口にいた。 「そろそろお別れね。これから楽しい事が待っているわ。」 巨大な顔を近づけ、笑顔を浮かべた彼女は俺だけに聞こえるように小声で言った。 「どういうことだ?」 しかし彼女は、尋ねる俺を無視して指を離した。地獄へのフリーフォール!たかだか高さにして1メートルほどだが、小さくなった俺にとっては数百メートル。助かるはずはない。俺は覚悟を決めた。 だが、俺は運が良かった。俺が落ちたのは、昇降口の一段上がったところに置いてある雑巾の上。雑巾がクッションとなって奇跡的に助かったのだ。俺は幸運を感謝した。 ほっとしたのもつかの間。突然彼女の上履きの靴底が迫る。彼女の上履きは、足の甲のところに赤いゴムがついていて靴底は白い上履きだ。避難訓練で校庭に出ていたため、上履き独特の靴底の凸凹に砂や泥がついて汚れている。特に今日は雨上がりだったので、一段と泥汚れが激しい。あんなにかわいい娘の上履きの靴底がこんなにも汚れているということに俺は驚いた。 グシャ! 次の瞬間、俺はとてつもない重さを感じた。巨大な彼女の上履きに踏み潰されてぺったんこになり、俺は命を落とした。 と思ったが、まだ俺は死んでいなかった。確かに俺の乗っている雑巾には彼女の上履きの靴跡がしっかりと残っている。だから踏み潰されたのは間違いない。踏み潰されても死なないなんて、俺は運が良い。おそらく小さくされた時、体がゴム状に変化したのだろう。それならさっき彼女の指から落ちた時に助かった説明もつく。潰れた体が元の3次元形状にゆっくり戻っていく感触があった。 ただし、助かったとはいえ踏まれた衝撃は全身にひびいている。体は無事だが、踏み潰された痛みはしっかりと感じるらしい。それでも、生きていればこの先希望が持てる。踏み潰されて死ぬよりはずっと良い。 幸運をかみしめていたところへ、次の上履きの靴底が迫る。また、赤いゴムがついているので、女の子だ。彼女の靴底も凸凹に見事なほど泥汚れがついている。 再び俺は踏み潰されて、激痛を感じながら気を失った。 次に気がついたとき、3人目の上履きが迫ってきた。俺はようやく事態が飲みこめてきた。 まず一つ。俺の体はいくら踏まれても死なない体になったこと。ただし、死ななくても踏まれた時の痛みはそのまま伝わる。 もう一つ。俺のいるのは、昇降口に置かれた泥落とし用の雑巾の上。避難訓練では上履きのまま校庭に出るので、教室に戻る時に昇降口に雑巾を敷き、上履きの汚れを落としてから中に入る。よりによってその雑巾の上に置かれたのだ。 そして最後にもう一つ。集会などで全校生徒が集合した時は、男女別々の列に並ぶ。そのまま教室へと入るので、昇降口に置かれた雑巾は男子用と女子用の二つある。そのうちの女子用の雑巾の上に、俺はいた。 3人目の上履きの靴底は、前2人とは微妙に凸凹の模様が違う。色は赤だが、別の製造会社のものだろう。俺が靴底を観察できたのもつかの間。あっという間に俺はまたまた踏み潰された。 その後も次々と女の子の上履きは俺に襲いかかった。 いったい何人に踏み潰されただろうか?俺は肉体的にも精神的にも参っていた。誰かに気づいて拾ってもらえるのを頼りに、必死に自分の存在をアピールした。だが、誰一人気づくことなく次々に俺を踏んでいった。自分一人だけが悲惨な目に遭っているという孤独感は、とても耐えられるものではなかった。 加えて肉体的な限界も近づいていた。踏まれても蹴られても俺は死なない。だが、痛みは感じる。自分の数百万倍もの重さを受けた時の痛みは半端じゃない。痛みで気を失い、ようやく回復してきたところで、すぐにまた踏まれて気を失う。これの繰り返しで体中に激痛が走り、動くことすらままならなくなってきた。 それでも女の子の上履きは次々に襲いかかる。いつまでこの状態が続くのだろうか?まさか、全校生徒に踏まれるのではないだろうか、という不安さえ感じていた。 友達とおしゃべりしながら踏んでいく子。笑いながら踏んでいく子。ジャンプして両足で雑巾に乗る子。雑巾の上で足踏みをする子。雑巾に足をこすり付けて汚れを落としていく子。いろいろな子がいる。雑巾にはさまざまな上履きの足跡がつき、汚れが染みこんで真っ黒になり、真っ平らに潰れてしまった。みんなからこんな目に遭わされるなんて、俺は雑巾に同情するぞ! だが、そんな雑巾並みに哀れな俺の存在に気づく子は、一人としていなかった。それもそのはず。俺の体は泥まみれになり、雑巾の汚れの一部と化していた。汚れた雑巾の上にある小さな汚れた物体。彼女達にとってはそれは人間ではなく、ゴミでしかないのだろう。 気づきもせずに踏み潰していく女子中学生達。気づかれもせずみんなに踏み潰されもがいている俺。この対比が俺を一層みじめにさせた。 やがて最後の子が俺を踏みしめて去って行き、ようやく俺はこの生き地獄から解放された。何人に踏まれたのかはわからないが、少なくとも100人以上に踏み潰されているはずだ。体は痛みで全身麻痺し、意識はもうろうとしていた。もうこんな思いをするなら死んだほうがましだ。 「うふふ。楽しかったでしょ。」 消えそうな俺の意識が、聞き慣れた声で呼び戻された。この声は、俺に災いをもたらした原因である紺野絵梨佳のものだった。彼女はしゃがんで、俺のいる雑巾を覗きこんでいる。痛みで声が出ない俺は、彼女をにらみ返す。 「あなた、学校の周りもうろついていたけど、女の子を狙っていたんでしょ。希望通り、女の子みんなに触れてもらうことができて良かったじゃない。上履きを通してだけどね。」 違う!学校の周りをうろついたのは捜査のためだ!彼女に近づいたのも捜査のためで、決して誘拐とか計画していたわけではない。それに、これは『触れた』じゃなくて『踏まれた』だ。 俺は叫んだが、声が出なかった。やはり、連続で100人以上の女子中学生に踏まれたのが響いている。 「かわいそうだから、もう楽にしてあげる。」 楽にするってなんだ?俺の疑問に彼女は答えず、立ちあがると後ろを向いて叫んだ。 「ちょっと、男子!早くこの汚い雑巾なんとかしてよ!」 「はい。今すぐ。」 気の弱そうな男子生徒が駆けて来る。彼は俺ごと雑巾を拾い上げると、そのまま水道のところへ持って行く。 ジャー! 水責めが俺を襲った。水流の勢いに、俺は雑巾から離れて下水道の穴へと飲みこまれた。何百人もの上履きの靴底の汚れが染みこんだ雑巾から流れ出た真っ黒に汚れた水が、俺に襲いかかる。俺は汚れた濁流に飲みこまれ、ついに溺死した。 あれだけ、自分の数百倍はあろうかという巨大な少女百人以上に踏み潰されて死ななかったのに、あっさりと溺死するとは不思議なものである。小さくなったこの体は物理的な力には強いが、やはり一つの生命。窒息による酸素不足には勝てなかったようだ。 俺は捜査の途中で非業の死を遂げた。このまま雑巾と一緒に、みんなに踏まれまくるよりもこの方が良かったのかもしれない。 紺野絵梨佳のことを捜査していたという記録を残しておけば良かったと思ったが、あとのまつり。俺はもう何もできないが、せめて誰かが彼女の罪に気づいて、彼女に罪の償いをさせてくれることを祈った。こうして俺は、先に旅だった若い二人の男性の元へと向かった。 |