ある男の友人

作:大木奈子

 俺の友人が消えてから二週間ばかり経とうとしていた。
 彼の両親に問い合わせたが、行方はわからない。彼は一週間くらい行き先も告げずに旅に出ることがあるので、今回もそのくちだろうと両親は心配していないようだ。あまりにも無責任ではないか?これが娘だったら、3日と連絡がとれないだけで大騒ぎするだろうに。
 俺が彼のことを心配するのには理由があった。突然旅に出るときも、彼は、俺にだけはちゃんと連絡してから出発する。旅に出ても、長くても一週間。今回のように連絡一つなく、二週間もいなくなるのは初めてだ。ひょっとしたら、何かの事件に巻き込まれたのかもしれない。
 俺は胸騒ぎがして、彼の行方を探し始めた。本当は警察に届ければいいのだろうが、両親が様子を見ると言っている以上勝手なことはできない。彼の行方探しは、俺一人でやることになった。

 捜索と言っても彼の写真を通行人に見せて聞くだけ。そんなに簡単に手がかりが得られるわけはない。それに加えて、目撃情報のいい加減なこと。ある中年女性は、
「あー。見たよ。でも、いつだったかしら、10日前かな?もっと前だったかな?どこで見たんだっけ?でも、あたしは見たよ。で、この男指名手配なの?」
これでは目撃証言になりやしない。10日前か、2週間前かが大きな違いなんだ。

 行き詰まった俺は、その日の朝、彼のアパートの周りをうろついていた。傍から見れば、いい男がこんな時間にあてもなくうろうろ歩いているのだから、どう見ても不審人物に思われるだろう。事実、彼の行方を通りがかりの小学生に聞こうとしたら、おびえた表情を浮かべて逃げられたこともある。
 俺は、行方の知れない彼の写真を見て一つため息をついた。と、その時強い風が吹き、彼の写真が俺の手から飛ばされた。
「待てー!」
叫びながら写真を追いかける。俺の声に反応して、登校途中の中学生くらいの制服を着た女の子が振り向く。写真は風に乗り、彼女の足元へと飛んで行く。
「すいません。写真…。」
俺が言うより早く、彼女は写真を踏みつけてこれ以上遠くへ飛ばされるのを防いだ。
「ありがとうございます。」
俺は頭を下げながら彼女に近寄る。彼女はしゃがんで写真を拾い上げた。

「あれ、こいつ…。」
彼女が小さな声で言ったことを俺は聞き漏らさなかった。
「知っているの?こいつ、俺の友達で、2週間くらい前から行方不明なんだ。」
しゃがんでいる彼女の正面に回って尋ねる。真正面に回ると、彼女の制服のミニスカートの中が見えそうになる。
「やっぱり…。」
彼女は写真から目を上げて、俺を見上げる。
「スカートの中見たでしょ。エッチ!」
俺はあわてて目をそらした。

 場所を近くの公園に移して、もう一度彼女に写真の彼のことを尋ねる。この公園は木が茂っていて外からは見えにくいので、邪魔が入る可能性は少ない。
「この人、私、知ってるよ。」
彼女の返事は俺の期待通りだった。
「いつ、どこで見たんだい?」
彼女に警戒されないように、俺は優しく質問する。俺の質問に対して、彼女はかわいい笑顔を浮かべた。
「この人、私のスカートの中を覗いた罰として、犬に食べられちゃったの。」
「?」
俺は彼女の言葉に耳を疑った。こいつ、気が狂っているんじゃないか。
「あなたもさっき、私のスカートの中見たでしょ。だから、罰として死ぬの。」
彼女はなおも笑顔を浮かべたままだ。平然と嘘をつく彼女に対して、俺は背筋が寒くなった。
「お嬢ちゃん、冗談はいけないよ。」
「冗談だと思うでしょ?人を殺したり誘拐したりするのは、たいていおじさん達なのよね。で、私達女の子は、普通は被害者。逆になるなんて、作り話としか思えないよね。」
彼女は楽しそうにおしゃべりを続ける。きっと彼女は話し相手が欲しいのだろう。しかし、俺は忙しいのだ。中学生のおしゃべりにいつまでも付き合っている義理はない。
「ごめんね。この人のこと、知らないならいいんだ。忙しいから、それじゃね。」
俺は彼女から離れて歩き出した。
「待って!」
すぐに彼女が呼びとめる。
「今言ったこと、全部本当よ。その証拠を見せてあげる。」
彼女は謎の呪文のような言葉を唱え始めた。逃げれば良かったのだが、相手が中学生だと思って油断していた。彼女の呪文が終了した瞬間、俺は気を失っていた。

 再び目が覚めた時、俺はこびとにされていた。信じられないようだが、巨大化した彼女を見たら現実を受け入れるしかない。
「言ったでしょ。全部本当だって。その写真の人もあなたみたいに小さくされて、犬に食べられちゃったの。」
俺の数百倍はあろうかという巨大な彼女は、俺を見下ろす。
「さっき言ったようにあなたが死ぬのも本当だよ。でもね、私は優しいから、助けてあげる。」
そう言いながら彼女は右足を持ち上げると、俺の頭上に踏み降ろした。ちょっと待て!言っている事とやっている事がめちゃくちゃだぞ。俺は小さくされた体に彼女の全体重を受けて、激痛と苦しみの後、非業の死を遂げた…。


 次に目が覚めた時、俺は死んでいなかった。どう考えてもあれだけ巨大な靴底に踏み潰されては、助かる見込みはない。しかし、俺は生きていた。それも彼女の靴底に貼りついていた。
「私の靴底のゴムとして使ってあげるね。」
彼女の声だけが聞こえる。靴の裏に貼りついている俺の目に入るのは、目の前に見える硬い地面だけだ。その地面が急に迫ってくる。彼女にしてみれば、足を踏み降ろしたに過ぎないのだろうが、俺は巨大な彼女の体重をまともに受けて踏み潰され、意識を失った。

 今度はすぐに意識が回復した。ゴム状の体になっているので、踏み潰されても死にはしない。重さがかからなくなればもとの三次元形状に回復する。
 しかし、相変わらず彼女の靴底からは解放されなかった。意識の回復した俺に襲いかかるのが、硬い大地だ。すぐに大地と靴底にはさまれて俺の体はぺったんこになった。

 彼女が歩くたびに、俺は踏み潰された。彼女の一歩一歩が、俺にとっては地獄の苦しみになる。ずっと意識が回復しなければ良いのだが、ちょうと意識が回復したところで次の一歩を踏み出される。
 一回踏み潰されるだけで死ぬほどの痛みを味わっている。それが彼女が地面を踏みしめた回数だけ俺に襲いかかる。まさしくこれは生き地獄だ。
 彼女は言った。『私は優しいから、助けてあげる』と。この状態は一撃で死ぬよりも苦しい。彼女は優しくなんかない。鬼だ!
 彼女は言った。『私のスカートの中見たでしょ』と。俺はお前のパンツなんか見ていない。これは無実の罪だ。罰を受ける必要などない。
 俺がどんなにわめいても、彼女の耳に届くはずはなかった。

 やがて学校に着いたようで、「おはよう!」と言う、彼女の明るい声が何度も聞こえてくる。彼女は人気者のようで、いろいろな友達から声をかけられている。
 彼女は歩くのをやめた。彼女は友達と立ち話をはじめたようだ。「ようだ」と書いたのは、俺にはその様子が全くわからないからだ。踏み潰されているので感覚も意識も全く感じられない、死んだような状態になっていたのだ。だから、推測でしかわからない。

 次に意識が回復した時、彼女はまた歩いていた。一歩一歩地面を踏みしめるたびに、俺は踏み潰されて意識を失う。
 今度はすぐに昇降口に到着した。ここで、彼女は上履きに履き替える。やっと俺は彼女の体重から解放さえた。彼女は靴底に俺をくっつけたまま、靴を下駄箱にしまう。
「しばらく休んでいてね。」
小声で俺に声をかけてから、彼女は去って行った。

 始業のチャイムが鳴った。彼女は今頃教室で授業を受けているのだろう。しかし、俺はまだ彼女の靴底から抜け出せずにいた。
 彼女が靴を脱いでくれたおかげで、俺は意識を失うほどの重さは感じなくなった。とはいえ、それでもこびとにされた俺にとって彼女の靴は大きすぎた。俺から見れば数百トンの重さはあるのではないか?全重量が一身にかからないから、潰されずに済んでいるものの、持ち上げて脱出するには重すぎた。
 結局なすすべもなく、俺は靴に押し潰されたままおとなしくしているしかなかった。

 気がつくと昼休みになっていた。楽しそうな生徒達の声が大きくなった。昼休みに外で遊ぶ生徒達は、上履きから外履きに履き替えて外に出て行く。
 ふいに俺の体が軽くなり、俺の目に明るい光が飛び込んできた。彼女が靴を持ち上げたのだ。俺は靴の重さから解放された喜びに浸った。しかし、その喜びも一瞬だ。すぐに床がものすごい勢いで迫り、靴ごと俺は床に叩きつけられた。彼女が靴を履くと、俺はその重さに耐えきれず、潰されて気を失った。
 彼女が何をして遊んでいるのか全くわからない。俺が見ることのできるのは、靴の裏と地面の間のわずかな空間だけだ。それも、彼女が足を持ち上げている一瞬だけ。音を頼りに様子をうかがうと、女の子数人で遊んでいるようだ。時折甲高い笑い声が聞こえる。彼女達は、一人の男がここで苦しんでいるなど夢にも思っていないのだろう。そのことが俺をより一層惨めにさせた。

 午後の授業中。俺は、再び下駄箱の中で靴に潰されていた。圧迫感は相当なものである。それでも、彼女が靴を履いて歩いている時よりはずっと楽だった。できるなら、すっとこのまま時間が止まって、彼女が再びこの靴を履かないでくれることを願っていた。
 だが、無情にも時間は過ぎて行く。終業のチャイムが鳴り、授業が終わった。名残惜しそうに自宅へと帰る生徒達がやって来た。そして、彼女も。
 三たび俺は、踏み潰された。彼女が歩くたびに生き地獄を味わっていた。帰り道は、彼女は数人の少女と一緒に帰っているようだ。楽しそうな彼女達の会話が聞こえてくる。

 彼女が足を踏み出す時、俺は茶色いかたまりを見た。そのまま俺は彼女の体重を受けたまま、茶色いかたまりの中にめり込んで潰された。異臭、悪臭。窒息するかと思える強烈な臭いの後、彼女の重さを受けて気を失った。
「…ちゃん。犬のうんち踏んだよ。」
彼女の友達の声で意識が回復した。俺が見た茶色いかたまり、すなわち彼女の踏んだものは、犬の糞だったのだ。
「やだあ、汚い!」
彼女は俺ごと靴を地面にこすりつける。糞まみれになった俺は、少しはきれいになったが、まだまだ体中に糞の臭いが染み付いていた。
「全く。こんなところにうんちしないでよ。」
彼女が文句を言いながら再び歩き出した。
 靴底を地面にこすってきれいにしたつもりだろうが、まだまだ靴底の凸凹には糞かすがこびりついている。彼女はそれに気づかずに歩いていく。直接触れていない彼女は良いが、糞かすと隣り合わせの俺にとっては、この臭いがたまったもんじゃない。
 それでも、彼女は俺の存在を無視したかのように歩き続ける。
「それじゃ、またね。」
「バイバイ!」
ようやく彼女は友達と別れて一人になった。

「そうだ。」
思い出したように彼女がつぶやく。彼女は立ち止まり、靴の裏に俺のくっついている右足を持ち上げて止まった。
「こいつの事、危なく忘れるところだった。」
彼女は呪文を唱えた。すると、今まで絶対に離れられなかった靴底から俺の体がはがれ落ちた。
「ねえ、どうする?」
地面でへたり込んでいる俺に、彼女は声をかける。
「このままもうちょっと私の靴の裏で楽しむ?それとも、もう飽きた?」
「もう、勘弁してください。お願いします。助けてください。」
俺は土下座して彼女に頼み込んだ。
「情けないなあ。あんたの探していた写真の男は、丸一日こびとのまま生き延びたよ。もうギブアップなの?」
「はい。もう耐えられません。元に戻してください。」
俺は地面に頭を擦り付けて頼み込んだ。本当は俺は悪くないのだからここまで卑屈になる必要もないのだが、今まで俺に苦痛を与えてきた彼女を怖くて見上げることができなかった。
「残念ながら、元の大きさに戻るという選択肢はないの。」
彼女の言葉は、俺のかすかな希望を打ち砕いた。見上げた彼女の顔には、相変わらずの笑顔が浮かんでいた。
「あなたの選ぶ道は、また靴の裏で私と一緒の楽しい時を過ごすか、あきらめて写真の人のところへ行くしかないのよ。さあ、どっちを選ぶ?」
俺は非常に迷った。このまま靴底で生き地獄を味わうのは拷問だ。とはいえ、死んでしまってはおしまいだ。
 究極の二者択一。あなたならどちらを選ぶだろうか?

 迷った末に俺は死を選んだ。
「彼の元へ連れて行ってください。」
そう言った俺は、涙が出てきた。
「残念ね。もっと自分の命は大切にしないと。」
彼女が言う。人の命をもてあそぶお前に言われたくはない!
「生きていれば、何かのはずみで元に戻れるかも知れないのにね。わざわざ死を選ぶなんてバカね。」
俺だってそのくらい考えたさ。それでも、靴底で歩くたびに何度も踏み潰されるのは耐えられない。嘘だと思うなら、やって見るいい。
「でも、私は優しいから、願いをかなえてあげる。」
彼女は周囲を見渡した。
 彼女の目に、駐車してある車の運転席に乗り込む、幼児を連れた若いお母さんの姿が目に入った。
「私は、虫も殺せない性格だから、あの車でいいわね。」
何やら呪文を唱えてから、彼女は俺を軽く蹴った。
 彼女にとっては軽く蹴っただけかもしれないが、俺にとっては大型ダンプに撥ねられたような衝撃だ。跳ね飛ばされた俺は、背中を強く地面に打ちつけた。今の衝撃で良くても全身複雑骨折だろう。薄れゆく意識の中で俺は、周囲を見渡した。俺のいる場所は、車道の車輪の通る場所ではないか。
 エンジンの音が響いた。若いお母さんの運転する車のタイヤが俺に迫る。もはや俺は逃げる事はできない。
 グシャ!
 かすかな音を残して俺は潰され、捜し求めていた友のもとへ行くことができた。

 車を運転しているお母さんは、自分がこびとをひき殺したことなど気づかずに走り去って行った。運悪く魂の抜けた俺の体はタイヤにへばりついていた。タイヤが回るたびに何千回、何万回とこすり潰された俺の体は、繰り返し地面にプリントされた後、跡形さえもなくなってしまった。

「踏まれても死なない呪文を解除すると、あっという間ね。」
俺に災いをもたらした彼女は、潰れた俺が残したかすかな血の跡を見ると歩き去って行った。

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