ある男の最期

作:大木奈子

 『死にたい。』
俺は、本気でそう思っていた。
『命を粗末にする奴は、とんでもない奴だ。』
などと言わないで欲しい。このまま生き続けることは、俺にとって生き地獄そのものだからだ。
 俺は虫けらのようなこびとにされていた。俺を小さくしたのは、中学生くらいの女の子。彼女がどんな方法で俺を小さくしたのか、なぜ小さくされたのが俺でなければならないのかは、全く分からない。ただ俺は、この信じられないような現実を受け入れるしかなかった。

 こびとにされてから、最初の夜がやって来た。昼間踏まれまくった俺は、人通りがなくなり少しほっとしていた。よりによって彼女は、小さくした俺を道の真ん中に放置していった。そのため俺は、次々にやって来る人達に気づかれないままに踏まれまくった。
 普通に小さくされれば、一回直撃で踏まれればそこで即死。この苦しみから逃れられる。だが、俺の体は何度踏まれても平気なようにゴム状の体なっていた。人類が長い間求めつづけてきた不死と言えば聞こえがいいが、実際は死ぬ苦しみを人の何倍も何十倍も味わう生き地獄だった。
 夜になって人通りが減ると、踏まれることはほとんどなくなった。俺は歩道の片隅で休むことにした。

 しかし、夜はこびとにされた俺にとって、休息の時ではなかった。道端の草むらで休んでいると、何やら物音がする。振りかえると、俺の数倍はあるような巨大な虫が現われた。奴は俺のことを餌と勘違いしているようだ。俺は無我夢中で逃げ出した。
 だが、奴のほうが動きが速い。「もうだめだ!」俺がそう思った時、突然空から羽音がした。俺は身を伏せて難を逃れたが、奴はそうもいかなかったようだ。気がつくと羽音は遠ざかり、奴の姿は消えていた。
 俺を食べようとした罰が当たって、鳥の餌にでもなったのだろう。

 夜の間じゅう、こんなことが幾度となく続いた。夜は夜行性動物や虫たちの支配下だ。鼠に追いかけられてこともあれば、野良猫に襲われたこともあった。弱肉強食が自然の姿とはいえ、なんと残酷な姿なのだろうか。そして、人間とはいかに無力なものかを思い知らされた。
 たった一夜の出来事だが、正直、もうだめだと思ったことも何度かあった。このまま虫に食べられて、この苦しみから解放されたいと思うこともあった。しかし、俺は怖かった。自分の何倍もあるような巨大な虫である。顕微鏡で虫を拡大して見たことがある人ならわかるだろうが、虫というものは意外とグロテスクな形をしている。それが自分の何倍もの大きさになって襲ってくるのだ。あまりの恐怖に、食べられてもいいなんて気持ちも失せ、終始逃げ回った。
 死にたい、と言いつつ怖くなって逃げ出すのだから、俺はなんて情けない人間なのだろうか。

 こうして、俺にとって休まる間もなく夜が明けた。朝が来るのがこんなにうれしいのは、生まれて初めてだ。明るくなるとともに人通りが増えてきた。それに伴って虫たちも道の真ん中にいては危険なので、次々とねぐらへ帰っていった。
 俺は、昨夜は一睡も出来なかったので、どこかで休みたかった。しかし、俺に憩いの場所はなかった。人通りが増えると、また、俺は踏まれまくった。気づかれずに踏まれることもあれば、気づいていてもわざと踏んでいく人もいる。いずれにせよ、俺を拾い上げて助けてくれる人は現われなかった。
 また、踏み潰される地獄のような一日が続くのだろうか?そう考えると、俺は生きていることに何の価値も持たなくなってしまった。そしてついに、極度の疲労から俺は踏まれても立ちあがる気力さえなくしていた。

 踏まれるがままに横たわっていると、巨大な蟻が近づいてきた。奴は弱っている俺を餌にでもするつもりだろう。もういい。ここまできたら好きにするがいい。
 奴は俺の様子をうかがいながら近づいてくる。そして、あと一歩で手が届くというところで巨大な靴底が降りてきた。踏まれ慣れている俺は、「ああ、またか。」という感じで、ものすごい重さに押しつぶされて気を失った。
 意識が戻ると、すぐ横にさっきの巨大蟻がぺしゃんこになって潰れていた。俺と一緒に踏まれたのだろう。いくら踏まれても無敵な俺はいいが、奴の体は巨大な過重に耐えきれずに潰されてしまった。俺を餌にしようとした奴とはいえ、目の前で踏み潰されると同情してしまう。
 「ねえ、元気してた?」
 はるか上空から元気な明るい声が聞こえる。この声は俺に向けられたものなのか?俺は声の主を見上げた。声の主は中学生くらいの少女だ。どこかでみかけた顔だ。
「どう?小さくされた気分は?楽しかった?」
思い出した。彼女こそがこの俺を小さくした犯人だ!
「楽しいわけないだろ!俺を元に戻せ!」
俺は今までの怒りをぶつけるように叫んだ。
「楽しかったんでしょ。だってあなたは私のスカートの中覗こうとしたんだもの。そんなに見たいのなら、好きなだけ見られるように小さくしてあげたのよ。感謝しなさい。小さくなったら、好きなだけ見られたでしょ。」
 そうだ、思い出した。俺は階段で彼女のミニスカートの中が見えそうになったところで突然こびとにされたのだ。それにしても、せっかく小さくされたのに踏まれてばかりでパンツを見たことがない。
「ちょっと待て!俺を小さくしたのは、たったそれだけの理由か?」
「ええ。それだけじゃ理由として足りないかしら?」
「足りないも何も、俺はお前のパンツなんか見ていない!」
「そんなの関係ないわよ。覗こうとしたのは事実でしょ。つけこべ言うとこうよ!」
彼女の巨大な靴底が俺を襲う。巨大な彼女の体重を受けた小さな俺は、信じられないような激痛を感じた後に気を失った。

 再び目が覚めた時、彼女は俺をあざ笑うかのように見下ろしていた。この体では、俺は彼女に反論することさえ許されなかった。
「うふふ。そろそろパンツも見飽きたでしょ。楽にしてあげるわ。」
彼女は俺を石ころのように蹴っ飛ばした。
「この先に、かわいいワンちゃんがいるの。」
彼女は俺を蹴りながら歩いていく。そしてすぐに一軒の家の前に着いた。

 「おはよう。元気?」
彼女が声をかけたのは、その家の門の前につながれた一匹の犬。子犬なのだろうが、俺から見れば体長数十メートルの化け物だ。
「今日はおいしいご馳走をプレゼントしちゃうよ。」
彼女はそう言って、ビニールパックに入ったケチャップを取り出して俺の真上に落とした。給食とかについてくる、一人用の5g程度のケチャップの袋だが、俺にとっては何tもの重さになる。ケチャップ袋に潰されて身動きが取れない俺を、彼女はケチャップ袋ごと踏み潰した。

 気がつくと俺は全身ケチャップまみれになっていた。踏まれた時にケチャップの袋が破れて、中身が俺に降りかかったのだ。
「はい、ご馳走の出来あがり!」
彼女は靴先で俺を犬の目の前に送り出す。この時俺はようやくご馳走の意味がわかった。
「俺を犬の餌にするつもりか!?」
俺は無我夢中で叫んだ。
「大当たり〜!踏まれてばかりいるのもそろそろ飽きたでしょ。だから、助けてあげる。小さくなると、踏まれたり蹴られたりする外からの力には強いんだけど、消化液のような化学変化には弱いのよね。だから、食べられちゃえば胃液で溶かされて、もう苦しまなくてすむようになるわよ。さようなら!」
 彼女が一歩下がると、巨大な犬の口が俺を襲い、飲み込む。奴にとって俺はケチャップ付きのおいしいお肉でしかないのか?
 口の中でだ液まみれになったあと、俺は食道に送られた。周囲は明かり一つない闇の世界。俺を包み込む側壁は妙に生暖かくぬるぬるしている。
 圧迫感を感じるような狭い通路を押されるように落ちていく。徐々に吐き気をもよおす強烈な酸の臭いが強くなり、胃袋と思われるような粘液の海に放り出された。
 胃袋の中は狭く息苦しい。明かりもなく、聞こえるものと言えば血液の流れる音だけだ。体中を覆う粘液のため、身動きはおろか呼吸さえも自由にできない。胃酸の海に落ちた俺は、間もなく呼吸困難におちいり、意識を失った。そして、再び目覚めることはなかった。

 こうして俺の短い生涯は、人知れずひっそりと終わった。消化される前に窒息死できたのは、徐々に消化されていく恐怖を感じずにすんだので、幸せなのかもしれない。ただ、欲を言えば犬などではなく、俺をこびとにした彼女に食べられて、悲惨な人生に幕を下ろしたかった。

戻る