作品No042

作:eiさん

【6月】
この日は6月にしては非常に暑く、初夏にしては珍しく光化学スモッグ警報も出ていた。
男は、道路わきの樹木に防虫用の薬剤を撒く作業をしていたが、気まぐれに方向を変える微風によって、男の体にも時折薬剤が付着した。
道路は車の交通量が割と多く、やや埃っぽい。
梅雨の晴れ間の、強い日差しをあびて、やたらと皮膚がヒリヒリするのを男は感じた。

【7月上旬】
男が、「何かおかしい」と思ったのは10日後だった。
背が低くなった感じもするし、今まで丁度良かった服も大きく感じた。
妻も異変に気付いたようで、医者に行くことを勧めた。
しかし、男は体のどこが痛いといったわけでもなく、仕事の忙しいこともあり、1日伸ばしに医者に行くのを伸ばしていたが、5日後には決定的な実態を知らされた。
男の身長は15cmほども小さくなっていたのだ。
それに伴い体重も軽くなっている。
医学に疎い男ですら自分の症状が近所の町医者では対処できないと考えるほど奇妙な現象だった。
男は大学病院に受診に行った。
大学病院では紹介状のない初診者は長時間待たされることとなった。
かなりの長時間待って男は受診したが、医者は精密な検査を勧めるばかりで、原因については言及しなかった。

男は医者の勧めに従い、数日病院に滞在したが、背が縮まる現象は一向に収まらなかった。
むしろ、珍しい症状のため、複数の医者に診察され、診察中も回りに比較的新人の医者などが集まり、観察するといった状態で、殆ど見せ物のような感覚であった。
男は、「小さくなる」といった事以外いたって健康で、見せ物のような毎日がイヤになり、病院からの退院を希望した。

【7月中旬〜8月】
病院は相当渋ったが、男は家族の下に帰った。
さらに夏になると男の身長はさらに縮んだ。
衣服も子供用でなければ合わなくなってきている。
「近所の名物おじさん」などと称してローカルなTV局が取材に来た。
ほんの10数秒の映像だったが反響は大きかったようだ。
その後、何局かのTVやラジオも取材に来るようになり、男はインタビューに答えたが、もとより今後への不安と医師への不信感と対人恐怖症になりつつある男がマスコミが喜ぶようなコメントをするわけもなかった。
しかし、1m強しかない身長の男の映像は衝撃的であったようで、いずれも視聴率は上々だったらしい。
取材の後、近所の住人や、親戚などが「見舞い」と称して男の家を訪れるようになった。
男は見舞い客に礼儀上顔を出し、挨拶をしたが、見舞い客の目は明らかに好奇に満ちているのを感じた。
中には、会ったことも無い親戚や友人まで訪れた。
客を応対する妻の態度がこの頃から変わってきたのを男は感じた。
次第に「見せ物」に対するマネージャーのような態度になっていったのだ。
夏が終わろうとしても男の「収縮」は止まらなかった。

【9月】
医者は、何回かの投薬と検査を試みたが、今はもう成り行きを見守るしかないようだった。
医者は、何度も彼に心当たりについて聴取した。
男はウンザリするほど同じ話を複数の医師に繰り返し説明した。
医師の結論としては、薬剤、光化学スモック、大気中の酸素はもちろん粉塵等に含まれる微量物質等各種の「化学的に活性の高い物質と紫外線などによる反応エネルギーの供給」、によって偶然おきた反応ではないかと推測した。
また粉塵中に含まれる微細な金属も反応を促進する触媒になったの可能性や男の遺伝的性質が影響したのではないかと言ったが、肝心の「男の症状を抑える手がかり」は得られなかった。
男にとっては何も判らないに等しかった。
しかも、この時期には彼等は男の症例に好奇心を隠そうとはしなくなった。

妻の態度が変わるにつれ、マスコミなどの取材も増えた。
男はいつも緊張し、哀れみの中に嘲笑を込めたインタビューアーの質問等に答えなければならなかった。
しかし、画面に映るだけで視聴率を稼げる人物は、マスコミにとって立派なタレントだった。
男は自分の精神が病んでいくのを感じた。
男の身長はさらに縮み、衣服はベビー服へ変わったが、妻のマネージャーじみた活動は依然として活発であった。
時折話し掛ける娘のとの会話だけが、この頃の彼には慰めであった。
彼の心の闇が大きくなるのに対し、家族の生活は若干派手になった感じがした。

【10月上旬】
秋が深まる頃には、男は完全に悲観していた。
医者も投薬もしなくなり、ただ観察し、記録するのみになった。
男の症例は学会の論文にすら書かれた。
テレビなどに出る回数は相変わらずで、小学生などにはマスコットのように扱われる。
たまに外出先で子供達の目にとまると大変だった。
大き目のぬいぐるみほどの大きさしかない彼に対し、子供達は無邪気に、そして乱暴に戯れ、彼を傷つけた。
彼は益々ふさぎこんだ。
彼の収縮は止まらない・・・

【10月中・下旬】
さらに、日数が経ち男のサイズは小さくなった。
テレビ出演は当初のブームは去ったものの相変わらず数日に1回の割合で続いている。
男はドールハウスを宛がわれ、家具も大きめの人形サイズになってきた。
服も人形が着用できるようになってきている。
しかし、人形用の服は大人の男が着るようなデザインのものは無かった・・・
子供じみた服を着せられ、男は屈辱を感じた。

彼は計算していた。
一日に1cmほど収縮している。
自分の今の身長から逆算すると、あと何日この世に存在していられるのか・・・
彼の身長が残り1cmを切った翌日はどうなるのか・・・
消えるときはどうなるのか・・不安だった。
この時期、妻との会話は殆ど無かった。
時折顔を合わせても、蔑むような目で見られ、男は妻の顔を正視できなかった。
男は着実に心身ともに収縮していた。

男は遂に決意した。
この時期唯一、たまに会話をする娘に話し掛けた。
小学校の高学年になった頃から殆ど会話が無い父娘だったが、彼が自分の症状に気付き、家に篭りがちになってからは今までよりもむしろ会話の機会が増えたといえた。
その会話も、この頃には途絶えがちになっていたが、その原因の多くは彼の側の「ふさぎ込み」にあるのかも知れない。
娘は、久しぶりの会話に快く応じた。
しかし、彼の決断の内容に驚き、そして拒絶した。
彼はさらに収縮を続けた。

【11月初旬】
さらに日数が経ち、男の身長は20cmを下回った。
人形ほどのサイズだ。
この間、昆虫に襲われかけたり、小動物と同じ入れ物に入れられ危ない目にも合ったが、「生」への執着が無意識のうちに強く残っているのか、必死でこれらの危機から逃れることが出来た。

入浴中溺れそうになるなど、日常生活ですら、命がけのときもあった。
食事も男が縮むのに従い、随分と変化した。
通常のトイレを使えなくなってからは、排泄行為にはいつも屈辱が付きまとった。
その他下着を含めた衣類、人形用の家具を使わせられること・・他人に運んでもらっての移動、ちょっとした会話・・・・そしてTV出演等、日常生活のあらゆる面で男は傷つき、萎縮していた。
男の精神は限界に達していた。

晩秋のこの日、男は再び娘に決断の内容を打ち明け、娘に同意を催促した。
その内容は、自分が収縮して消滅する前に娘に踏み殺して欲しいというものだった。
他人や虫や小動物ではなく、愛情を注いだ者の手に掛かりたい・・
手の込んだ方法ではなく、一思いに・・
娘に嫌疑が掛からないように遺骸の処分方法まで考えた・・それには自分が充分小さくなる必要があったが、その大きさにそろそろ達しつつあると男は考えた。
自分の不安と苦しみ、そして決断を語った。
この日の男は珍しく雄弁だった。
娘は頷くしかなった。
しかし、娘は「心の整理がつくまで・・・」と数日の猶予を希望した。

数日後
娘が彼に決心がついたことを知らせた。
この数日の間に男がやったことはTV出演が1件と、メモ用紙に出来るだけ大きな字(男にとって)で遺書を書いたことだった。
内容は妻の取り分を娘に移管する旨と、娘に対する礼とこれからの助言だった。
文章は華美な表現もなく、事務的な内容だったが、行間からは娘への愛情が読み取れるものだった。
しかし男はメモを折ったまま娘に渡したため、娘はかなり後までメモを見ることは無かった。
男の遺骸の処分の方法は、文書にせず口頭で指示することにした。
娘に罪を被せたくない為の配慮だった。
男ほどの大きさの肉塊なら、痕跡の残さずに消し去ることは比較的容易である。

娘は男のために念入りに化粧をした。
今年大学に入学したばかりの娘は美しくなっていた。
あらためて見ると、男も自分の娘ながらそう思った。
大人の女性特有のなんとも言えないいい匂いもする。
娘は虫かごのような容器から男を出した。
男は美しくなった感慨深く娘を見上げた。
娘は10cmほどしかない男を軽々と手のひらに載せ、玄関の床に置いた。
そして、黒のロングブーツをゆっくり履いた。
落ち着いた感じのするブーツだった。
ヒールはやや太めでそれほど高くはない。
ブーツはこの数時間前に娘によって丁寧に手入れされていた。
若干の履き皺はあるが汚れはきれいに取り除かれ、皮特有の美しい光沢を放っている。
男は玄関の床に立ち、娘の巨大で美しい脚がブーツに収まるのを見守った。
娘がゆっくりと、サイドファスナーを上げる・・・

娘がブーツを履き終え、男の前に立った。
男は玄関の様々な臭いが入り混じる中で、ブーツの皮の匂いと娘の「女の匂い」を強く感じた。
男からは、二本の黒い巨大な柱が立ちはだかっているように見え、その遥か上から娘が彼を覗き込んでいるのが見えた。
娘は迷っていた。
なるべく父の遺骸を傷つけないようにそっと踏んで息絶えさせるのがいいのか・・・
それとも・・
娘はわざわざ自分にこんな役を依頼した父の思考を辿った。
娘の迷いが消えた。

ヒールで踏むと、万が一踏むポイントがずれた場合、すぐに死なずに苦しめるかも・・
娘は苦しませず、確実に男を踏み殺すために、親指の付け根あたりの一番力が入る部分で踏むことにした。
男が仰向けに寝て娘を促す、
「本当にいいのね・・」
彼が頷くのを見ると、
「じゃあ、やるよ・・」
娘は少し湿った声で告げると右足を上げた。
娘は躊躇しなかった。
男からは巨大な靴底が覆い被さってくるのが見えた。
覆い被さってくる娘の巨大な靴底のギザギザしたトレッドのパターンと付着している土埃などがよく見える。
男は今、ここ数ヶ月の間感じることのなかった充実感を感じていた。
何かが開放されたような気分だった。
それがなぜなのか理由を考えるひまもなく靴底が男に迫り、目の前が暗くなった。
続いて強烈な圧迫感・・・圧搾・・崩壊・
男が感じたのはそこまでだった。

娘は男の希望どおり力を加減することなく踏んだ。
ブーツは、娘の狙いどおりのポイントで男を捉えた。
一瞬、やや固さを持った物体の感触を靴底越しに感じたが、すぐにそれが潰れていく感触に変わった。
同時に血液と何か透明な液が混じった感じの、薄い赤色の液体が飛んだ。
液体がブーツの脇、20p程も飛ぶのを娘は視認した。
娘は、さらに体重を掛けて男を踏みしめた。
そして、最後に小骨のようなやや固い何かが砕ける感触・・・・と微かな音・・
娘は自分の足の下で、確かに男が死んだことを察知した。

最初に飛び散った薄赤色の液体は、飛び散った軌跡上に沿って点々と存在し、表面張力により水玉のような形状になっている。
数秒して、踏みしめたブーツと玄関のタイルの隙間から男の血が滲むように流れ出るのが見えた。
娘はそのまましばらく足を上げることが出来なかった。



【あとがき】
この文章の最初の部分は・・・80年後半から90年初頭のB級米國コメディー映画のノリです。
薬剤と紫外線(活性酸素とかの発生源なので、いろんなことが起こる可能性があるのかな?などと勝手に考えてしまいました)さらに光化学スモッグや化学反応を促進させるための触媒としての金属イオン各種(粉塵中に存在)など+偶然の作用で人間が小さくなる設定です。
生物の生育を促進するホルモンは、有名な成長ホルモン始め幾つかのものが知られており、それを制御する因子も同時に解明されてきました。
今回は上記のような偶然の反応で生成した物質が、内分泌かく乱化学物質(Endocrine disrupting chemical)つまり環境ホルモンと呼ばれておるもののごとく働き、あたかも成長ホルモンが逆の方向に働くような症例を設定いたしました。{通常言われている環境ホルモンよりは遥かに急性でナンセンスな効果ですが・・内分泌かく乱⇒成長ホルモンの効果が撹乱された!?撹乱=本来の働きと逆に働く=つまり小さくなる?(これは言葉の遊び的発想)といったノリです。}
90年代初頭に発表された米國映画のB級コメディーものの一つの例として「透明人間」という作品がありますが、この当時のこの分野の作品では、偶然やひょんな事から主人公が特殊な能力を身につける話が流行ったようです。(ちなみに「透明人間」では半完成の薬剤に偶然ハトの糞が薬剤に入ることで、「透明薬」が完成し、主人公がそれを飲んで活躍します)
男と家族との愛憎のドラマの場面も詳細に書こうと思ったのですが、なかなかcrushに辿り付かず、実際のところ断念してしまいました。
したがって、彼等の「ドラマ」的な部分は、ほとんど項目を箇条書き状態にして処理しました。

戻る